大判例

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静岡地方裁判所浜松支部 昭和59年(ワ)19号 判決

原告

小澤英子

右訴訟代理人弁護士

田代博之

渡辺昭

森下文雄

名倉実徳

白井孝一

被告

(日本専売公社訴訟承継人)日本たばこ産業株式会社

右代表者代表取締役

水野繁

右指定代理人

梅津和宏

新井克美

大岡進

大畑惣吾

守屋節司

池岡幸治

齋藤哲雄

池田輝夫

飯野芳美

福井隆良

菊池利雄

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一請求

一  原告が被告に対し、雇用契約上の地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、昭和五九年一月二〇日以降、一か月につき金一七万三九〇〇円の割合による金員を支払え。

三  被告は、原告に対し、金三九八七万三一九八円及びこれに対する昭和五九年二月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件は、被告浜松工場に勤務していた原告が、頸肩腕症候群の療養のために休職を続け、休職期間満了により失職した原告が、右頸肩腕症候群が業務上疾病であることを前提として、被告に対して雇用契約上の地位確認及び被告の安全配慮義務違反に基づく損害賠償金の支払い等を求めている事案であり、これに対して被告は原告の疾病は被告の業務に起因するものではなく、被告には安全配慮義務違反もないとしてこれを争っている。主たる争点は、(1)業務起因性(〈1〉作業内容と作業量〈2〉原告の体質や素因と原告の疾病との関係〈3〉業務起因性の判断基準)(2)安全配慮義務(〈1〉内容〈2〉被告による履行)(3)損害等である。

二  争いのない事実

1  当事者

(一) 原告(昭和一九年三月一三日生)は、昭和三七年三月に高等学校を卒業後、同年四月一六日、被告(但し、当時は日本専売公社)に製造職掌職員(後に技能(一)職掌職員と改称)として入社し、浜松工場の製造部装置課(昭和三八年四月一日に包装課に改称)に配属され、昭和三九年一一月ころから、巻たばこを包装する包装機作業の一つであるU字2L形包装機作業(以下、「U2L作業」という。)に従事していた者であるが、昭和五九年一月二〇日休職期間満了により、日本専売公社職員就業規則(以下、就業規則という。)六〇条三号に該当して失職し、日本たばこ産業株式会社法(昭和五九年法律第六九号。以下、「会社法」という。)の施行に伴い、昭和六〇年三月三一日をもって解散した旧日本専売公社(以下、「公社」という。)の職員の身分を失ったものである。

(二) 被告は、日本専売公社法(昭和二三年法律第二五五号。以下「公社法」という。)に基づき、国の専売事業の実施にあたることを目的として設立され、その目的を達するために同法二七条一項に掲げる業務を行う公法上の法人であったが、前記会社法の施行により解散し、被告が公社の権利義務を承継したものである。

2  U2L作業の概要

(一) U2L作業とは、U字2L形包装機、セロハン上包機、レッテル貼機が一組となった機械を用いて行う作業であり、巻上工程から供給された紙巻きたばこ(巻上品)をU字2L形包装機によってアルミ箔、包か用紙(アート紙にその銘柄の名称及び図柄を印刷した個装の包装用包み紙)及び封かん紙で二〇本単位に包んで包か詰品とし、これをセロハン上包機で上包みし、これを二〇個単位でボール紙の箱に手詰めし、レッテル貼機に挿入してレッテルで封印するという作業であって、U字2L形包装機の標準回転速度は毎分一一〇回、セロハン上包機の回転数は毎分一一五回である。

(二) その作業工程は、(1)巻入作業(2)包装機操縦作業(3)セロハン上包機操縦作業(4)ボール箱詰作業の四工程からなり、この流れ作業を四人の作業従事者でローテーションによって担当していたが、その四人のうちでチーム内の事実上のリーダーを操縦責任者(操縦格)としていた。

(三) その四人のローテーションは左記のとおりである。

(1) 昭和四六年から昭和五一年まで

〈1〉 八時〇五分から一〇時 一一五分

休憩 一〇分

〈2〉 一〇時一〇分から一二時 一一〇分

休憩 四〇分

〈3〉 一二時四〇分から一四時三〇分 一一〇分

休憩 一〇分

〈4〉 一四時四〇分から一六時四〇分 一二〇分

〈5〉 終了時作業 一五分

(2) 昭和五六年二月以降

〈1〉 八時〇五分から九時 五五分

〈2〉 九時から一〇時 六〇分

休憩 一〇分

〈3〉 一〇時一〇分から一一時 五〇分

〈4〉 一一時から一二時 六〇分

休憩 四〇分

〈5〉 一二時四〇分から一三時四〇分 六〇分

〈6〉 一三時四〇分から一四時三〇分 五〇分

休憩 一〇分

〈7〉 一四時四〇分から一五時四〇分 六〇分

〈8〉 一五時四〇分から一六時四〇分 六〇分

〈9〉 終了時作業 一五分

3  原告の罹病歴(本件頸肩腕症候群を除く)

(一) 原告は昭和四五年一〇月六日に婚姻後、昭和四五年一一月七日、国立浜松病院において切迫流産の疑の診断を受け、同月一四日から二〇日までの間、流産により病気欠勤した。

(二) 昭和四六年

(1) 公社浜松工場診療所(公社診療所という。)関係

三月から五月 右腕関節痛

六月 アレルギー症、水虫等

(2) 国立浜松病院関係

三月 卵巣機能不全

四月 右手ディクエルバン氏病

(三) 昭和四七年

(1) 公社診療所における診療

一月 倦怠感、肩凝り、便秘、胃炎等

三月 頭痛、便秘

五月 腰痛症(八月まで)、胃腸炎

一〇月 背部捻挫(寝違え)

一二月 胃痛、めまい

(2) 国立浜松病院

七月 つわり(七月八日から八月四日まで欠勤)

(四) 昭和四八年

(1) 公社診療所における診療

四月 便秘、胃炎、めまい

五月 咽頭痛、便秘、背痛症

六月から七月 肩凝り、めまい、便秘

一〇月 肩凝り

一一月(月末まで)右下腿部痛及び座骨神経痛

(2) 国立浜松病院

一月二一日から産前休暇に入り、三月二日死産し、三月三日から四月一四日まで産後休暇により休養した。

七月一一日から一〇月四日までの間切迫流産による病気欠勤一一月三〇日切迫流産により昭和四九年一月二五日まで入院した。

(五) 昭和四九年

(1) 公社診療所における診療

五月 肩関節周囲炎、肩凝り(一一月まで)、便秘、風邪

八月 頭痛

九月 頭重、発疹、便秘

一〇月 下腿部痛、風邪、めまい

一一月(一二月末まで)右肘、手の関節痛

一二月 肩凝り、頭重

(2) その他

前記病気欠勤に引き続いて同年一月二八日から産前休暇に入り、二月二八日に第一子長男出産後、四月二一日まで産後休暇を、同月二七日までは有給休暇を取って休業した。

(六) 昭和五〇年

公社診療所における治療

一月 右肘及び手の関節痛(八月まで)、発疹、肩凝り、頭重

二月 風邪

三月 風邪、胃痛

四月 便秘、風邪

八月 腰痛、頭痛、大腿痛、上腕痛

(七) 昭和五一年

公社診療所における診療

六月 風邪、頭痛

七月 腰痛、便秘、不眠、肩凝り、めまい、腕のしびれ

八月 頭重、風邪、左腕のしびれ、痛み

九月 背中、手掌、指先のしびれ(五二年二月まで)

(八) 昭和五三年

一一月二日、第二子(長女出産)

(九) 昭和五五年

公社診療所における診療

四月 風邪、頭痛

五月、左頸部痛(七月まで)

六月 下腿、足、背のしびれ、浮腫

4  失職に至る経緯

(一) 休職、復職、失職の根拠規定

公社法二三条一項には「公社の職員は左の各号の一に該当する場合を除き、その意に反して休職にされることがない。」と規定して、その一号には「心身の故障のため、長期の休養を要するとき。」とあり、また同法二項には休職期間は三年間を越えない旨の規定がある。

また、就業規則五四条一項二号には、「職員が心身の故障のため、休養日数が結核性疾患以外の心身の故障の者のうち、勤続一〇年未満の者については九〇日、一〇年以上の者については一八〇日の日数に及んだときは休職とすることがある」と規定する。

そして、同規則六〇条三号には「休職期間が満了して、なお休職の事由となった故障が消滅しないとき」には失職するものとされている。なお、休職に関する就業規則の規定については、公社と公社の職員が組織する全専売労働組合(現日本たばこ産業労働組合。以下、「組合」という。)との間で、就業規則と同一内容の「休職に関する労働協約」を締結している。

(二) 第一回目の傷病欠勤及び休職(以下、「第一回休職」という。)

原告は、神奈川県川崎市に所在する川崎医療生活協同組合大師病院(以下、「大師病院」という。)の長谷川倫雄医師(以下、「長谷川医師」という。)作成の昭和五〇年八月二九日付の頸肩腕障害により一月の休業加療を要する旨の診断書(〈証拠略〉)を原告の属する技能(一)職掌の職員の休職及び復職の発令権者である公社浜松工場に提出して、同年九月一日から就業規則四六条の傷病欠勤を開始し、その後長谷川医師の診断書を五回にわたって提出(〈証拠略〉)し、昭和五一年二月二七日までの一八〇日間傷病欠勤を継続した(〈証拠略〉)。

そこで公社浜松工場長は、原告から長谷川医師作成の昭和五一年二月二四日付のひきつづき一か月の休養加療を要する旨の診断書が提出されたことから、原告を同年三月二七日まで傷病休職とし、その後も同趣旨の診断書が提出されたので休職期間を三回延長して、同年六月九日まで傷病休職となった(〈証拠略〉)。

(三) 第一回復職

原告は、長谷川医師作成の復職を可とする旨の診断書(〈証拠略〉)を提出して復職を求めたので、公社浜松工場長は就業規則五八条の規定(「休職となった者が復職する場合において必要があると認められる場合は、公社が指定する医師等の診断をうけなければならない」)に基づき、原告を静岡労災病院の安藤啓三医師(以下、「安藤医師」という。)に受診させたところ、同医師から昭和五一年六月一〇日から就業に支障ないとする旨の診断書の提出(〈証拠略〉)を受け、同日から原告は復職した。

(四) 第二回目の傷病欠勤及び休職(以下、「第二回休職」という。)

原告は、昭和五一年九月二九日付の公社浜松工場診療所長鈴木卓医師(以下、「鈴木卓医師」という。)作成の頸肩腕症候群のため九月三〇日より一週間の休務加療を要する旨の診断書(〈証拠略〉)を提出して同日から傷病欠勤を開始し、その後五回にわたって同趣旨の診断書を提出(〈証拠略〉)及び安藤医師作成の頸肩腕障害により休務加療を要するとの診断書を提出して(〈証拠略〉)、昭和五二年三月二八日までの一八〇日間傷病欠勤を継続した(〈証拠略〉)。

このため、公社浜松工場長は、原告を再度傷病休職とし、その後休職期間を一七回にわたって延長し、原告は昭和五五年三月二〇日まで傷病休職となった。(〈証拠略〉)

(五) 第二回復職

原告は、昭和五五年三月七日、公社浜松工場長に、労働協約である「頸肩腕、腰痛罹病者の職場復帰に際しての取扱に関する了解事項」(「職場復帰了解事項」という。)(〈証拠略〉)に基づくものとして、長谷川医師作成の同年三月五日付の当面公社の定める勤務軽減措置の適応可能と判断する旨の診断書を提出したので、公社浜松工場長は復職を認めることとし、併せて三月二一日から五月一九日までの六〇日間の午後半日の欠務を認めることを決定し、原告は三月二一日から復職した。

(六) 第三回目の傷病欠勤及び休職(以下、「第三回休職」という。)

原告は、昭和五五年七月二三日付の長谷川医師の「頸肩腕障害。右症状増悪につき一か月間の休業加療を要す」という診断書(〈証拠略〉)を提出して同月二四日から右病名により傷病欠勤を開始し、その後長谷川医師作成の同病名の診断書を提出し(〈証拠略〉)昭和五六年一月一九日までの間一八〇日間傷病欠勤を継続した。(〈証拠略〉)そこで、同月二〇日から、公社浜松工場長は原告を傷病休職とし、長谷川医師の診断書の提出を受けてその期間を一八回にわたって延長した(〈証拠略〉)。

(七) 失職

しかるに、被告は、昭和五九年一月一九日の休職期間が満了してもなお休職の事由である疾病が治癒せず、就業規則六〇条三号の規定に該当するとして原告を失職させた。

5  業務上災害の認定について

(一) 公社による認定

(1) 公社法五四条、労働者災害補償保険法三条二項によれば、公社には同法の適用が除外されているため、公社は組合との間で「業務災害補償に関する協約(以下、「業災協約」という。〈証拠略〉)、同覚書、を締結するとともに、同内容の日本専売公社業務災害補償規則(以下、「業災規則」という。〈証拠略〉)及び日本専売公社業務災害補償事務取扱細則(以下、「業災細則」という。〈証拠略〉)を定め、これらに基づき、業務上外の認定を行っていた。

これによれば、認定を受けようとするものは、書面で公社に申請し、所属長(たばこ工場の場合は事務部長)が災害状況及び意見を記入した災害発生通報を作成し、申請書と医師の診断書を添えて支部局長(公社浜松工場長)に提出し、公社浜松工場長は右書類に基づいて必要な調査又は鑑別診断を行って業務上外の認定をしたうえ、申請者に通知するという手続が規定されていた。

(2) 原告は第二回休職中の昭和五一年一一月一〇日、公社浜松工場長に対して傷病名を頸肩腕障害、発症を昭和五〇年八月二九日とする原告の業務内容と健康状態の経過を記載した自己意見書と題する書面(〈証拠略〉)を添付した業務災害認定申請書(〈証拠略〉)を提出した。

前記業災規則等には頸肩腕症候群の業務上外の認定基準の定めはなかったが、同規則一七条が業務上疾病の範囲を労働基準法施行規則三五条によることとしているので、同条による別表第一の二の三3に掲げる頸肩腕症候群の認定基準である昭和五〇年二月五日付労働省労働基準局長第五九号通達「キーパンチャー等上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」(以下、「五九号通達」という。〈証拠略〉)が認定の指針として採用された。

(3) 公社浜松工場長は、作業内容、作業環境、労働条件について日本大学生産工学部助教授大久保堯夫(以下、「大久保助教授」という。)や社団法人日本能率協会(以下、「日本能率協会」という。)に調査を依頼するとともに、原告に対して公社指定医師の静岡労災病院の整形外科医佐藤正泰医師(以下、「佐藤医師」という。)に鑑別診断を受けさせることとし、昭和五二年三月二二日、同医師による鑑別診断が実施され、佐藤医師から整形外科的所見(〈証拠略〉)、検査の種類、方法及び整形外科的意見(〈証拠略〉)が出された。更に、公社浜松工場長は、原告に対して右静岡労災病院神経科の鑑別診断の受診も求め、昭和五三年四月に磯貝島根医師(以下、「磯貝医師」という。)らによる問診及び心理テストがされ、同医師作成の精神神経科的意見(〈証拠略〉)などの回答がなされた。

これに加えて、公社浜松工場長は整形外科の専門医である次の七名の医師に前記佐藤医師の意見書や鑑別診断時に作成された原告のX線フィルムの複製(〈証拠略〉)等を提示して意見書の作成を依頼した。

日本医科大学医学部助教授・同大学付属病院整形外科医長 石田肇

大阪医科大学医学部

整形外科講師 富永通裕

大阪労災病院

第二整形外科部長 川田平

名古屋保険衛生大学医学部

整形外科助教授 吉沢英造

労働福祉事業団東京労災病院 整形外科部長 松元司

慶応義塾大学病院

整形外科診療科医長 小林慶二

国家公務員共済組合稲田登戸病院

整形外科 鈴木信正

(以下、これらの医師を「石田医師」等とする。〈証拠略〉)

(4) 公社浜松工場長は、これに基づいて、昭和五三年六月八日、原告の疾病は業務によるものとは認められないとの認定を下してその旨通知した。(〈証拠略〉)

(二) 労働基準監督署長及び労働者災害補償保険審査官の判断

(1) 原告は、昭和五二年一一月一二日、浜松労働基準監督署長に対して、労働基準法八五条に基づく審査仲裁の申立てを行ったが、同監督署長は公社浜松工場の実態調査を行ったうえで、昭和五三年一〇月四日付で、「本件疾病は業務上の事由に基づくものとは認められない」との認定を下して、原告に通知した。(〈証拠略〉)

(2) 原告は、これを不服として、同年一二月二日、労働基準法八六条の規定に基づく審査の申立てを静岡労働者災害補償保険審査官に対してなしたが、同審査官は公社浜松工場の実態調査をしたうえで、昭和五六年九月三〇日、「業務上の疾病とは認められないものと認定する。」との認定を下し、原告に通知した。(〈証拠略〉)

第三業務起因性についての原告の主張

一  原告の業務内容について

1  作業内容の詳細

(一) U2L作業のうち、包装機操縦作業、巻入作業、セロハン上包機操縦作業、ボール箱詰作業の内容及び終了時の作業の内容はそれぞれ以下のとおりである。

(1) 操縦作業

(イ) 内容

原告は、U2L作業の操縦責任者としてグループ全体の作業をリードして所期の作業責任を果たすべき立場にあったから、U2L包装機を操縦しながら、まず機械の運転操作で始まり、製品検査の後、アルミ箔、包か用紙、封かん紙、セロハン、セロハンテープ、ボール箱、のり、レッテル等の材料を受入れ、機械全体の流れと異常に留意しながら製品検査及びアルミ箔やのりなどの各種材料の監視と供給、異常時の機械の停止や運転時の点検、調整、注油、包か用紙及び封かん紙のさばき整理と絶えざる供給、損傷品整理や不良品の手直し、紙くずや損品の払出し、運転日誌、チェックシートの記入、兼務、応援等四四種類の作業を行った。

(ロ) 操縦責任者としての作業負担

このうち操縦責任者として必ず朝一番の操縦作業を行い午前八時五分から一〇時まで一一五分間連続立作業に従事したことについては両下肢への負担が強かった。また、四四種類の作業をこなすことはその内容が複雑多岐にわたり、気配りが特別に必要であった。さらに両上肢に負担がかかる包か用紙さばきや封かん紙さばきを、他の班員の負担を軽くするため、他人の三ないし五倍である一日五万枚の使用量のうち二万五〇〇〇枚から三万枚を作業の間を見てさばいた。

(ハ) 材料供給作業の負担

材料供給では四分から四分三〇秒に一回約五〇〇枚ずつ包か用紙及び封かん紙を原告の肩よりやや上方の包か用紙ホッパーに供給した(一回あたり一〇秒)。また封かん紙は九分に一回約一〇〇〇枚(一回あたり三七秒)、のり壺へは九ないし一五分に一回(一回あたり三五秒)、重さ約四・二キログラムのアルミ箔は約二五分に一回計四回(一回あたり六五秒)の供給が必要であり、U2L包装機の回転数に拘束されて約七〇回の材料供給を反復した。

(ニ) 包か用紙、封かん紙さばきの負担

一束九〇〇グラムの包か用紙さばきは、まず、二束一包(重さ一八〇〇グラム)を解包して一束五〇枚の帯封やあて紙を取り、両手でずらすようにしながら左手でしっかり持って中空に支え、紙の張りつきをほごすために右手指で五ないし六回時計回りに紙に沿って回しながらさばく作業であり、さばく途中で裁断不良や印刷不良があれば除外して、さばき終えた包か用紙は五〇〇枚ずつ揃えて積み重ねて整理するもので、合計五〇ないし六〇束、一束約三〇秒を要する。また、封かん紙さばきは、高さ六七センチメートルの作業台の上で中腰姿勢をとりながら、五〇束包みを解いてあて紙をはずし、作業台に三〇束を出し、一束一〇〇〇枚ずつ帯封とあて紙をとり、左手指でしっかりと台上に持ち、右手のワイヤーブラシで六ないし七回こすってさばいた後上下を持ち替えて反対側も同様にさばいたうえで作業台上に整理しておくもので、合計三〇束、一束約三〇秒を要する。したがって、包か用紙と封かん紙さばきに要する作業時間は合計四〇ないし五〇分であって操縦作業中の比重が高い。この作業は頸部前屈姿勢を保持しながら行う両上肢に負担の大きい作業であり、かつ封かん紙さばき作業には背腰部のひねり屈曲姿勢が加わる。

(ホ) 運転操作作業の負担

始業時や特別包か銘柄の切替え時、材料品や機械のトラブル時にU2L包装機の作動、停止を行うもので、床上二〇センチメートルの位置にある起動停止スイッチの押しボタンを押し、クラッチを引きながらハンドルを回す作業で、ハンドルの最下位が床上四二センチメートルの高さのため、中腰からかがむ姿勢で行うもので、原告が従事していたU2L二号機は解体修理後特にハンドルが大変重くなり、背腰部への負担が強かったうえ、この起動操作は原告以外にはできなかったから、原告はどの場所にいるときであっても二号機の起動に駆けつけざるを得なかった。

(ヘ) 製品検査作業の負担

起動時のアルミ箔交換時に包か詰品五ないし六個をスイッチ操作で製品受箱に取り、解包しながら包か用紙、アルミ箔の包か状態を調べ、中身二〇本の良否まで検査するものであり、約八〇センチメートルの高さの作業台で品質保持のため、運転中に約一〇回は行う作業である。また不良品の手直し作業も作業台上で行う作業であった。これらは頸部前屈姿勢を保持しながら行うものであった。

(ト) その他の負担

各製品や機械の監視点検作業も製品が流れている高さが床上八〇センチメートルであったため頸部前屈を余儀なくされるものであり、この他にも材料品の受入れ、ボール箱の運搬、注油、機械不調時の操作などは中腰姿勢による背腰部のひねり屈曲を余儀なくされるものであった。

(2) 巻入れ作業

(イ) 作業全体

巻入作業は、包装工程の最初の部門であり、巻反転供給機のホッパー内に巻上品(ばらのたばこ)を供給する反復作業を主とし、不良品の除去、混装防止を行うもので、原告は巻上品供給の間に巻上品の監視、不良巻の除去、不良品の手直し、レッテル貼機の管理など約二五種類の作業を行った。

(ロ) 巻入れ作業

その作業は以下のようなものである。

実トレー(巻上品四〇〇〇本の入っている重さ約六、七キログラム、幅約七〇センチメートル、高さ約三七センチメートル、厚さ約九センチメートルの金属性容器)をトレー運搬車から床上一一三センチメートルの位置で引き出し、巻上品を一瞥検査したうえトレーを約七一センチメートル幅に広げて水平に持ち、腹部のあたりにまで下げ、トレーを運びながらその上部を手前に傾けるように保持しつつ前面を覗き込むようにして断面検査を行い、不良品があればトレーを下に下ろしてピンセットで抜いてトレーを約一・五メートル運び、反転供給機にある高さ一〇〇センチメートルのトレーハンガーにトレーの上部両端を嵌め込み、トレー上部に底板をはめて巻上品の不揃いを直し、反転ボタンを押して実トレーをホッパー上に反転させ、反転させたトレーの巻上品をホッパー内に下ろすため底板(幅八センチメートル、長さ約八一センチメートル、重さ七〇〇グラムの金属性板)を肩の位置で体をひねりつつ右手で水平に一気に引き抜く。次にホッパー内の巻上品の不揃いを手直しして、その落下状況を見ながら不良巻があればピンセットで引き抜く。一分四八秒でトレーの巻上品がホッパーへ落下すると、反転ボタンを押して空になったトレーを下に下ろしてハンガーからはずし、空トレー(重さ二・七キログラム)をトレー車に運ぶ。

この一連の作業を一回あたり約三一秒で行い、一二〇分間に六七回程度反復する。

(ハ) 巻入れ作業の負担

右作業中では、原告にとって実トレーを身体から離して中空で保持することによる両肩の負担や断面検査に伴う肩、頸、手首への負担、体のひねりを余儀なくされる底板引き抜きの際の右肩周囲への負担が大きかった。

(ニ) その他の作業

右のように実トレーを引き出し、空トレーを運搬車に戻すまでに約一〇八秒のサイクルで作業しているが、残りの約七七秒の巻上品供給の合間に行う作業としてトレーごとにチェックシートに記入し、一〇トレー供給ごとにトレー運搬車の交換、レッテル貼機の管理、不良品、損傷品の除去手直し、操縦作業者離席時の操縦作業兼務、コンベアー上の監視、原告の作業時にはしばしばあった一回二分を要する巻詰まりなどの異常時の処置、セロハン上包機作業台上の整理、運転中の清掃、巻上品落下状況の監視、各材料供給状況監視等一一種類の作業があり、それに追われた原告にとって手待時間はなかった。

(ホ) その他の作業の負担

当時は不良品が多く、原告は操縦責任者として巻入れ作業の合間に操縦作業、セロハン上包機操縦作業、ボール箱詰作業、レッテル貼機、ベルトコンベアー等の監視などを行い、作業中の行動範囲は広く、長時間の立ち作業に伴う下肢への負担や気配り等の精神的負担が大きかった。

(3) セロハン上包機操縦作業について

(イ) 起動と停止

セロハン上包機操縦作業は、一連続作業時間が一一〇ないし一二〇分の座位作業である。その起動操作はセロハン上包機の左下方のスイッチを入れ、左手でハンドルを回しながらテープの張りつき具合やセロハンの繰り出し具合を確かめて右手で左前方のクラッチを入れるもので、作業開始時、包装機との速度調節のために停止した後、セロハンやテープの異常時など一作業時間内で六回ほど必要であった。これに対し、セロハン上包機の停止の手順はクラッチを切り、体を左にひねってハンドルを回しながら、ヒーター部の位置を正しくしてからスイッチを切り運転を停止するものである。

(ロ) 製品揃えと検査

この間原告は作業台の右前方に送り出されてくる包か詰品約二〇個に、プール箱から取り出した製品を加え、これらを左右から両手で挾んで持ちながら手元に寄せ、各側面を回転させながら目で検査するという製品揃えと検査を行った。この場合、封かん紙のないもの、封かん紙や包か用紙ののり付け不良のもの、印刷不良、封かん紙の位置不良のものを除去したり、手直ししたりした。これは頸部前屈姿勢のまま約四四センチメートルの幅の包か詰品二〇個を肘を離した状態で行う作業であり、作業速度は毎分五・五回、各面の検査に手首の回転を四ないし六回伴うから、一一〇分の間には二四〇〇ないし三六〇〇回の作業を行うものである。

(ハ) 製品揃えと検査作業の負担

このようにいわゆる脇の甘い状態での上肢保持を余儀なくされる作業であり、肩から胸骨にかけての部位に対する負担を増大させ、三角筋や大胸筋の疲労しやすい作業であった。

(ニ) ホッパー供給作業

包か詰品をホッパーに供給する作業は、検査した包か詰品の方向に注意して全体を左右から挾んで持ち上げ、右手で包か詰品を支えながら左やや上方へ移動させ、左手をホッパー上部へ向けて左側方へ挙上し、包か詰品全体を縦に持ち作業台左斜め前方にある約三〇センチメートルの高さのホッパー供給口に右手の包か詰品を乗せ、縦型ホッパー内に包か詰品を積み重ねるようにして供給するものであるが、このときは椅子に浅く腰掛けて両足を横枠で踏ん張り、上体を左にひねって左手側方に挙上する無理な姿勢を余儀なくされた。

(ホ) ホッパー供給作業の負担

右作業は左肩、上肢、背腰部に負担の大きい作業であり、椅子に座って物を側方へ移動する際に腰椎に強いねじり屈曲モーメントが加わる。しかも左手を側方に挙上させる際には脈が停止するので左手が末梢循環不全の状態となる作業で、これを毎分五、六回、一一〇分で五五〇ないし六六〇回反復するものであった。

(ヘ) その他の作業

製品揃えから包か詰品のホッパーの供給は約一一秒を一サイクルとして行われるところ、一回あたりのホッパー供給に要する時間は約五秒程であったが、残りの時間については手待ち時間となるのではなく、原告は不良品の手直しやはだか製品の手貼りと成型を必ず行っていた。不良品の手直しは、製品検査で除外した不良品を手直し可能分と損傷分とに区分し、作業の合間に不良品の種類に応じた手直しをしてプール箱に整理しておくものであり、はだか製品とはアルミ包みまでのもので、毎朝操縦責任者がプール箱に一〇〇個入れておいてこれに封かん紙と包か用紙を手貼りし、成型してプール箱に整理しておくもので、当時の浜松工場では不良品の手直しとはだか製品の供給分で作業者効率をあげていた。

(ト) その他の作業の負担

右のような作業のため、セロハン上包機操縦作業は、作業の反復が多いうえ、作業速度を自己調節したり自発的に休息をとることが困難なものとなっていた。

(4) ボール箱詰作業

(イ) 作業全体

ボール箱詰作業とは、セロハン上包機から毎分一一五ないし一一七個の割合で送り出されてくるセロハン上包品を一〇個ずつ検査して、ボール箱一つに二〇個ずつ包み込み、レッテル貼機に押し込む反復作業を主とし、その間にセロハンやセロハンテープの供給、不良品の手直し、巻上品の供給状況、各材料の減り具合の監視等全部で二三種類の作業である。

(ロ) ボール箱詰作業

ボール箱詰作業は椅子に座って行う一一〇ないし一二〇分の連続作業で、まず作業台前方のボール台にあるボール箱を右手で取り、作業台胸元の側板に合わせて右手で手早くボール箱を折り、セロハン上包機から右前方に流れてくる製品(セロハン上包品)一〇個(幅二二センチメートル)を手元によせ、両手を中空にしてこれを挾み、回しながら四面を検査してボール箱に入れ、検査でセロハンテープの位置不良やひび、ねじれ、折り込み不良等の不良品があれば除去し、良品と取り替え、ボール箱の両側に折り目を入れ、さらに一〇個を同様に検査してボール箱に入れた後ボール箱を組み立てて成型し、組み立てたボール箱が広がらないように手指で押さえながら前方へ側転させ、左手首を内転させ作業台前面のあて板に沿って左へすべらせて前方のレッテル貼機にボール箱を押し込んでから、右手で次のボール箱をボール台から取ると一連の動作を一サイクルの作業工程とするものである。

(ハ) ボール箱詰作業の負担

この作業は、常に頸部を前屈させて行うものであり、いわゆる脇の甘い状態で上肢を保持させながら行う製品の四面検査の際には一一〇分間で三七〇〇回程手首を回転させることが必要となり、ボール箱をレッテル貼機に押し込む際にひねりモーメントが加わるがこれを一一〇分間に五五〇ないし六六〇回行うなど手指を過度に使用するうえ、作業台が高かったために原告はボール箱の組立の際には両肘を上げておかなければならないほど負担が大きかった。

(ニ) その他の作業

原告はボール箱詰作業をしながらセロハンテープの供給を一日二回、セロハンの供給を一一〇分で二回行うセロハンの供給と調整、ボール台のボール箱一〇〇枚がなくなると座ったまま後ろ横の置き台から一〇〇枚(三・五キログラム)のボール箱を供給する作業が約一七分に一回、セロハン位置不良等の不良品の手直しや解包、特別包かたばこの処置、セロハン上包機やレッテル貼機の異常時の調整のほか、操縦責任者としての巻上品の供給状況、セロハン上包機、レッテル貼機、コンベアー、材料の減り具合の監視などの業務を行った。

(ホ) その他の作業の負担

これらの作業、特に不良品の手直しのために原告には手持ち時間が全くなかった。

(5) 作業終了時の機械手入れ等

作業終了後、午後四時四〇分から五五分までの一五分間の間に機械の手入れ作業を行うのが必要不可欠であるから、一日の作業時間はたばこ包装作業合計四五五分にこれを加えた四七〇分である。そのうえ原告は翌日の作業に備えてのり壺等の再点検を行った。

2  不良品の発見、除去、手直しの負担

(一) 浜松工場のたばこ生産量は昭和四六年から昭和五〇年にかけて増加の一途をたどったが、その増産体制のなかで、浜松工場は不良品の生産数が全国三七工場中でも上位五位以内に入る状態であった。これは、包装の前段階である巻上作業段階で巻上機に不良品排除装置がついていないものがあったり、増産優先で不良品の排除装置の調節を甘くしたりしていたため、多数の不良巻が出たためであり、その不良品の数は一日に少ないときでも四〇〇本、多いときには一万本ないし数万本も発生した。

(二) この不良巻を包装前に点検し、排除して製品の最終チェックをするのが巻入れ作業者の責任とされており、原告のいた包装課では包装工程で発生する不良品の手直し排除も含めて不良品を出さないことが強調され、不良品が発生して苦情があった場合には包装課全員に作業者名が公表されるなどの脅迫的な労務管理が行われたので、作業者には特に強い精神的緊張が強いられるなど、1の基本的な作業の他に不良品の検査、除去、手直しの負担が極めて大きかった。

3  操縦責任者制度について

(一) 昭和四六年四月以降、操縦責任者制度がとられるようになり、ローテーションのなかで、午前八時〇五分から一〇時までは、包装機操縦作業は必ず操縦責任者が担当することになっていた。原告は昭和四七年九月から操縦責任者とされた。

(二) 操縦責任者は、〈1〉他の三人が余裕をもってU2L作業に従事することができるようにするため、包か用紙、封かん紙とも一日五万枚のうち原告が三万枚(他の三人で二万枚)を捌く〈2〉機械の不調や異常の際にはどの作業を行っているときでも率先して対応する〈3〉絶えずU2L作業全体に気配りし、製品を監視する〈4〉他のポジションへの応援、兼務を率先して行う〈5〉品質管理、運転効率の維持は操縦責任者の責任とされており、精神的緊張が高いことから、四人一組の作業者中でも他の三人に比して労働負荷が格段に大きかった。

4  特包たばこ作業について

(一) 浜松工場は昭和四三年に、少量多銘柄の製造と新品種の製造を行う調整工場に指定され、工場内に混合ブロックを設置して記念たばこ等の多品種少量生産を行っていたが、原告は昭和四九年五月の産休明けから、混合ブロックに操縦責任者として配置され、特別包かたばこの製造に従事した。

(二) 特包たばこの包装は、包か用紙の入替えが多く、少量多品種であることから混装に注意しなければならないなど、通常の作業以上に緊張を強いられるものであった。

5  作業方法等の改善

(一) 原告発病後の昭和五一年頃から後記のように機械、作業方法に改善が見られたが、それまでは劣悪な作業条件のもとに置かれていた。

(二) 改善の内容は左記のとおりである。

(1) U字L形包装機について

〈1〉脚部の木片を取り払い、低くした。〈2〉セロハン作業台への接続が反転バケット方式からロータリー反転木になった。〈3〉ハンドルが軽く操作しやすくなった。〈4〉封かん紙のロール上にカバーを付けた。

(2) セロハン操縦作業台について

低くしたうえ、脚を三本にし、ホッパー部を左前方に置くようにしたことにより身体のひねりがなくなった。

(3) 包か詰品供給用ホッパーの改善

ホッパー供給口を下方まで広げ、且つ作業者の方へひねりを加え、供給しやすくした。

(4) ボール箱詰供給台

箱詰めの位置を低くし、レッテル貼機の取付け位置を右手前にしたことにより腕と肩への負担を軽くした。また作業台の下のレッテルを入れておく引き出しの下段が除かれ端も戸に踏み台が取りつけられ作業姿勢がよくなった。

(5) その他

操縦責任者の椅子の位置、セロハン上包機操縦者、ボール箱詰用の椅子の改善(広く、クッションも厚くなった。)が行われ、かつ、トレー車、材料運搬車のコロを改善し軽く動くようにした他、ボール箱置台の脚にコロを付けた。

(6) 巻上機の改善

これにより不良巻が大幅に減少し、その除去、手直しの作業が減少するとともに機械トラブルも減少し、巻入れ作業に手待ち時間の余裕がうまれるようになった。

(7) 作業方法の改善

争いない事実記載のとおり〈1〉ローテーションの改善がされ、連続動作を一時間以内として疲労の蓄積度合いが著しく緩和されたほか、〈2〉操縦責任者の廃止や〈3〉混合ブロックが廃止され、特別包か品を専業とすることがなくなって、作業中の緊張度の軽減が図られた。〈4〉運転中に四〇箇所行っていた注油が調整工が行うように改善され、本来の流れ作業に余裕がうまれた。〈5〉さらに操縦責任者が朝行う包か用紙や封かん紙をさばく数が、三万枚から八〇〇〇枚に減少した。

6  作業環境

右の作業のための環境も劣悪であり、原告が担当していたU字L形包装機二号機は操縦作業者の裏側が通路のため冷風が吹き抜け、夏は冷房の影響が強かった。そのうえ、照明が暗く、また、高速巻上機による騒音や塵埃がひどかった。

7  第一回復職時の業務

前記のように、原告は昭和五一年六月一〇日から復職したが、その際に公社から原告に課せられた業務は〈1〉六月一〇日から七月三一日までは編成残(製造計画の都合や作業編成の都合上生じる製造作業に直接必要としない人員で清掃や組長の指示する業務に従事する)として配置され〈2〉八月一日から九月一〇日までは離席交代要員(U2L作業の直接従事者が離席する間は右作業に従事するが、その必要が無い場合には補助作業に従事するか待機する者)として配置されたが、その間は体操の時間が一日に二回あったものの午前八時から午後五時まで九時間の拘束による作業時間八時間の勤務であった。また、編成残として配置しておきながら、実際は最初からU2L作業にならすために当初は二〇ないし三〇分のローテーションであったものを次第に延長する形でU2L作業に従事させ、〈3〉九月一三日には正常勤務(当時のローテーションは一時間)へ復帰させられた。

8  第二回復職時の業務

(一) 前記のように、原告は昭和五五年三月二一日に第二回目の復職をしたが、その際には公社による勤務軽減措置によって、〈1〉当初午前中半日勤務で、内容は巻上品運搬作業〈2〉六〇日の経過した同年五月二〇日からは拘束時間九時間で巻上品運搬、原材料品運搬作業に従事した。

(二) 巻上品運搬作業とは、巻上機から実運搬車プール場へ、あるいは実運搬車プール場からU字L形包装機の手元へ巻上品の入っているトレーを積んで運搬する業務を言い、原材料品運搬作業は午前、午後の各一回包か用紙、封かん紙、レッテル等の材料品が積まれ、所定の場所にプールされている運搬車をU字L形包装機の手元まで運搬する作業をいう。

(三) 三月二一日の初日に原告が運搬したのは一〇車であったが、同月二五日以降は二〇車に、四月三日以降は四〇車の運搬を命じられ、五月二〇日以降は最高八四車の運搬を命じられた。

二  原告の症状経過と業務内容の関係

1  原告は入社時は健康体であったが、昭和四三年に浜松工場が調整工場に指定されて作業が複雑化し、トラブルが多発するようになった昭和四四年二月ころ、初めて原告に肩凝り、頭痛等の症状が出現した。

2  昭和四六年三月には前記のように公社診療所で受診し、四月には国立浜松病院では右手ディクエルバン病と診断された。これは職業性腱鞘炎のことであり、この年から原告は特包たばこを扱うようになり、作業密度が濃くなった時期である。

3  昭和四七年九月から原告は操縦責任者を命じられていたが、死産、切迫流産、出産を経て昭和四九年の五月から出勤したが、この産休明けのとき前記のように頭痛、肩凝り、頸の痛み、背中の痺れ、腕のだるさなど症状が出て昭和五八年には休業するに至ったが、この時期は、産休明けの原告に対し何らの勤務軽減措置もなく前記のようにU2L包装作業の混合ブロックに配置され、操縦責任者としての業務に従事させられていた時期である。

4  原告は、昭和五〇年九月八日から同年一〇月七日まで、大師病院に入院して治療を受け、その後も通院治療と自宅における体操療法で次第に症状が軽快した。そこで、昭和五一年三月二三日には午前半日復職可の診断がなされた。

5  しかし、公社がリハビリ勤務を認めなかったため、前記のように同年六月一〇日から第一回復職を果たしたものの、全日勤務で最初からU2L作業を命じられ、九月一三日からは正常配置になったため、頸、肩の痛み、手足の痺れが再現し、同年九月二九日、公社診療所長の頸肩腕症候群にて休業加療を要すの診断を受けて第二回目の休業の止むなきに至った。

6  休業中、治療を継続した原告は、昭和五二年五月一八日には静岡労災病院の安藤医師の段階的就労可の診断が出るまで回復したが、第二子の出産や公社が段階的就労を拒否したため、昭和五五年三月二一日になって第二回復職に至ったものの、前記のような業務を課せられたため頭痛、背中痛から次第に頸の強い凝りや腕のしびれの症状が加わり、昭和五五年七月二三日には主治医から再発の診断がなされ、休業を余儀なくされた。

三  医学的所見

1  大師病院長谷川医師

長谷川医師は昭和四九年から大師病院において頸肩腕障害など職業性疾患の患者の治療にあたっており、昭和五〇年八月二九日の原告初診時に原告の症状を業務に起因する頸肩腕障害と診断している。同医師は原告に対して問診、触診、検査を実施したうえ、原告の業務内容を聴取し、原告に既往症もなく、健康状態が良好であったことを確かめたうえで総合的に判断してこのように診断したもので、この診断に基づき原告をU2L作業から離れさせるために昭和五〇年九月八日から四〇日間原告を入院させ、その急性期の症状の改善に努めた。その結果原告は症状が軽減したので同医師は昭和五一年三月二三日、「復職可能、午前半日程度」と診断し、さらに同年五月一一日には「復職可能」と診断したものである。その後同医師は一貫して原告の症状を業務に起因する頸肩腕障害と診断している。

2  静岡労災病院安藤医師

原告は昭和五一年五月一一日の復職可能の診断を受けて公社に復職を申請したが、公社から静岡労災病院の診断書の提出を求められたので、同月二六日、安藤医師の診察を受けたところ、同医師は「頸肩腕障害、六月一〇日から就業に支障なきものと認める」と診断した。そして原告が再休業を余儀なくされた昭和五二年三月一日に同医師の診断を受けたときには、同医師は「頸肩腕障害、三月一日から五月三一日までひきつづき休業を要する」と診断し、さらに昭和五二年五月三一日には「頸肩腕障害、段階的就業にて復職可」と診断した。このように安藤医師は一貫して原告を頸肩腕障害とし、段階的就労を求めるなど、疾病と業務との関係を肯定している。

3  静岡労災病院佐藤医師

原告は昭和五一年一一月一〇日、本件疾病につき業務上疾病である旨の認定を求めたところ、労働協約に基づき、公社指定医である静岡労災病院の鑑別診断を受けることを要求され、昭和五二年四月五日、佐藤医師の診断を受けた。同医師は五九号通達で指針とされている以上の詳細な検査(アドソン、ライト、モーレイなどを含む)を実施したうえ、原告について「いわゆる頸肩腕障害と診断される」とした。なお、同病院神経科の磯貝医師は原告の心理テスト、問診テストを行ったが、精神神経病的所見はないとしているが、これも五九号通達による鑑別診断基準に沿ったものである。

4  久留米大学医学部前田医師

前田医師は日本産業衛生学会の頸肩腕症候群委員会のメンバーであるが、公社浜松工場の原告他二名の健康障害の業務起因性について、作業負担についての調査や長谷川医師との症例検討会を行ったうえ、疫学的手法をも含めて原告らの業務起因性を肯定している。

5  公社診療所鈴木医師

鈴木医師の診断名はいずれも頸肩腕症候群であるが、昭和五一年九月一六日に五九号通達に示されている鑑別診断を実施したうえ職業性疾病かどうか調査し、そのうえで同月二九日、「頸肩腕症候群、九月三〇日より一週間の休業加療要す」とし、さらにその後も頸肩腕症候群により一か月の休業を要すと診断するなど原告を業務から離すように指示しているから、同医師が原告の症状の業務起因性を肯定していたことは明らかである。

四  原告の発病の背景にある公社における合理化施策と頸肩腕障害患者の多発

1  公社の合理化施策

公社においては、昭和四〇年代に紙巻きたばこが両切りからフィルターつきたばこへの転換やたばこ消費量の伸びを背景に国際競争力をつけ売れるたばこ造りをめざすため、昭和四三年一一月に「これからのたばこ事業」なる長期経営計画が策定され、さらに昭和四六年六月第一次中期計画を公表して製造工場の統廃合、MMC二五〇〇回転の高速巻上機など高性能機械の導入や連続自動化、交代制勤務の導入、コンピューター管理システムの強化など合理化の限界を追求することを打ち出し、さらに昭和四八年には第二次中期計画が策定され調整工場の増設、高速巻上機四〇〇〇回転の導入などの合理化施策を採用した。

2  浜松工場における合理化施策

(一) 浜松工場は昭和三五年一月に本社直轄工場となり、前記の計画に対応して昭和四三年一一月、少量銘柄、特殊製品や試製品ならびにこれらの需要変動に即応するための調整を行う「調整工場」に指定され、昭和四四年にはMMC高速巻上機の増設、ヒンジリット型包装機の導入、昭和四五年一月には特殊加工ラインが全国で初めて稼働し、チェリーや蘭の新製品が製造され、同年五月MMC高速巻上機二五〇〇回転の切替え、U字2L形包装機やセロハン上包機が大量導入され、昭和四六年三月には除葉使用方式導入工事が完成し、シートたばこ、セブンスター等フィルター付たばこの製造数量が飛躍的に上昇し、昭和五〇年にはMMC高速巻上機四〇〇〇回転が導入された。

(二) このような物的な合理化施策の他に、振替勤務、作業応援、二交代制、増製超勤(コンピューターを使っての需要供給即応のための増産体制)、目標(機械稼働率九八パーセント)管理体制の強化、混装防止対策の強化、職制の巡回による締めつけや個別責任制、操縦責任者制などによる品質管理体制がとられていた。その結果、浜松工場における紙巻きたばこの製造数量は昭和四五年には六三億七四〇〇万本、昭和四九年には七七億八三〇〇万本という全国一の記録となった。

3  浜松工場における頸肩腕障害の多発状況

(一) 昭和四九年一〇月一〇日に集約された日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会作成アンケートによる浜松工場女子労働者三三名の自覚症状調査によれば、頸肩腕障害と腰痛の合併症と見られる所見が高度であった。

(二) 昭和五〇年四月時点での浜松工場包装課女子労働者一七七名の実態を見ると、一〇八名が何らかの頸肩腕障害の症状があり、治療経験があるとされ、同年八月に大師病院において頸肩腕障害で長期療養を余儀なくされていた浜松工場の職員は原告以外に六名も存在し、同年九月二八日同病院医師団が浜松工場職員について実施した頸肩腕障害診断結果によれば、受診者全員について所見があるとされ、うち一四名につき日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会作成の症度判定では三度以上とされた。

(三) 昭和五二年一月全専売労働組合浜松工場支部による自覚症状調査集約結果によれば、調査回答者の一二二名について、頸、肩、背、腕、手指、腰下肢等のだるさ、しびれなどの症状を訴え、頸肩腕障害と腰痛の合併症が認められた。

(四) また、長谷川医師及び前田医師の調査分析によると、浜松工場の職員で大師病院に通院していた者の症例を分析すると、昭和五〇年までに初診の者については主として左上肢に症状が認められるのに対して、昭和五一年以降に、初診の者については右上肢に症状が認められるようになったが、右両名の医師の分析によれば、これは浜松工場のローテーションが前記のように一時間単位に改善されたことに原因があるとしている。

五  業務起因性の認定基準について

1  頸肩腕障害について

(一) 頸肩腕障害とは、日本産業衛生学会頸肩腕症候群委員会の定義によると、「業務による障害を対象とする。上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業により神経や筋疲労を生ずる結果おこる機能的あるいは器質的障害である。ただし、病像形成に精神的因子及び環境的因子の関与も無視しえない。したがって本障害には従来の成書に見られる疾患(腱鞘炎、関節炎、斜角筋症候群など)も含まれるが、大半は従来の尺度では判断しがたい性質のものであり、新たな観点に立った診断基準が必要である」とされる。

(二) その病像は、通常次のような経過をたどり進展していくことが多い。

1度 必ずしも頸肩腕に限定されない自覚症状が主で、顕著な他覚的所見がみとめられない。

2度 筋硬結、筋圧痛などの所見が加わる。

3度 2度に加え、筋の腫張や熱感、筋硬結、筋圧痛などの増強や拡大、神経テスト陽性、知覚異常、筋力低下、脊椎棘突起の叩打痛、神経の圧痛、末梢循環機能の低下のうちのいくつかの所見が加わる。

4度 3度の所見が揃い、手指の変色、腫張、極度の筋力低下が出現

5度 頸腕などの高度の運動制限及び強度の集中困難、情緒不安定、思考判断力低下、睡眠障害

2  五九号通達について

(一) 五九号通達の発せられる経緯

行政上の業務上外認定基準としては昭和五〇年二月五日労働省労働基準局長通達五九号「キーパンチャー等上肢作業に基づく疾病の業務上外の認定基準について」(以下、「五九号通達」という。)が存する。

右通達の出された経緯は、まず、昭和三九年九月一六日のキーパンチャー等の手指を中心とした疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(一〇八五号通達)を発したところ、キーパンチャー以外にも同種の障害が拡大し、症状も手指だけではなく頸、肩に及ぶ事が明らかとなったため、労働省は昭和四四年一〇月二九日付で「キーパンチャー等手指作業に基づく疾病の業務上外認定基準」の通達を発し(七二三号通達)頸肩腕症状の概念を認めて一般事務や電話交換手、チェッカー、織物、製薬、電気などの工場現場、保母など広範な職種に業務上認定者が増加した。この七二三号通達では頸肩腕障害について「症状の発現は通常は疲労肩凝りの状態で始まり休養、訓練により回復するものであり、素因のあるものでは前斜角筋の痙攣を起こすなど医療を要する段階にまで進みうる。肩凝りだけでは補償の対象とはならないが、肩凝りの段階において適切な作業管理(環境管理、職場転換を含む)、休養、訓練の措置を講ずることにより解消するものが、何らかの処置が行われないまま作業を継続することによって、病的状態に進行する例が少なくない」と解説されており、疲労、肩凝りが病的状態に進行することや健康管理の問題が取り入れられていた。しかるに、このような疲労からの発病経過や肩凝りの時点で作業管理を行う必要性を認めた部分を除去し、頸肩腕障害の病状を旧来の整形外科的発想と手法のなかに病状を閉じ込め、頸肩腕障害認定件数を減少させるためのふるい落とし基準を作成したのが五九号通達である。

(二) 五九号通達の問題点

五九号通達の内容に対しては日本産業衛生学会等からの批判が強い。たとえば疾病の定義については、同通達は上肢を主とする運動器系の障害として捉えているが、本疾病の内容は中枢及び末梢神経系、自律神経系、感覚器系、循環器系の障害を伴うものであり、腰や下肢の症状が含まれることが多く、全身的な広がりを持つ疾病という実態に合わないとの批判がある。その他にも、作業者の労働負担に精神、神経、感覚器の機能に及ぼす負担に触れていないこと、同種の労働者に比して業務量が多いかどうかを要件とし、発症前の労働負荷が当該作業者にとって過大であったかどうかにふれていないこと、画一的に三か月という療養期間を明示していることについて同学会からの批判がある。なお、五九号通達にいう「適切な療養を行えば概ね三か月程度でその症状は消退する」との点については、労働省自身が昭和五一年一一月一一日付事務連絡四五号で「適切な療養及び健康管理が行われなかった場合には三か月を越えて症状が継続する場合もあるので、三か月程度経過後に症状が消退しないものを一律に業務によらない疾病として取り扱うという趣旨ではない」

としているものである。

(三) 五九号通達の損害賠償訴訟における基準性

このように同通達は問題が多いうえ、労災保険行政上の内部的基準にすぎないものであるから、本訴のような民事損害賠償の場面では同通達を基準として業務起因性を判断することはできないというべきである。

3  業務起因性の判断基準と証明責任

(一) 業務起因性の判断基準

業務に起因して生ずる頸肩腕障害の病理機序はある程度明らかにされているのであるから、特に別の原因疾患によることが明らかでない限り、症状の部位、程度、従業員の従事した作業内容及び作業環境、これと症状との相関関係、作業従事期間からみて、当該疾患の発生が医学常識上業務に起因して生じたものとして納得しうるものであり、かつ、医学上療養を必要とする場合にはこれを業務上のものとして取り扱うべきである。

(二) 証明責任

(1) 一般論としては、因果関係の証明責任はそれを主張する側にあるというべきであるが、職業病特に頸肩腕障害等の疲労性疾患についてその病理的発生機序を完全に説明することは困難であり、有害作業についての資料も被告となる使用者側が独占しているのが通常であるから、労働者側の原告に業務と疾病との因果関係の立証を要求することは酷である。それゆえ、行政上の業務上外認定基準においても「罹患者側において当該疾病発生の原因と認めるに足る有害業務に従事していたこと」と「当該症状を呈していることを立証した場合には、事業主側が業務に起因しないことを立証しない限り業務上とみなす」とされている。したがって、本訴訟でも原告が「当該疾病発生原因と認めるに足る有害業務に従事していたこと」及び「当該症状を呈していること」を立証した場合には、被告側で業務に起因しないことを立証しないかぎり因果関係を肯定すべきである。

(2) なお、昭和五三年四月、労働基準法施行規則三五条が改正され、頸肩腕症候群が別表第1の2の三に列挙された結果「罹患者側で当該疾病発生の原因と認めるに足りる有害業務に従事していたこと、当該症状を呈したことを立証した場合には、事業主側が業務起因しないことの立証をしない限り業務上とみなすこととなる。」(労働省労働基準局編著「労災補償業務上認定基準の詳解」一二八頁)となっている。

六  業務起因性についての結論

原告は前記のような上肢等に負担が大きい過酷な業務に従事していたものであって、これは原告の前記症状を発生させるに足りるものであり、その症状の推移は被告公社の合理化により作業負担の増加につれて前記のように悪化して最初の入院にいたり、二度の休職後に復職した後も過大な業務を課せられたために症状の再発、悪化が認められる。そのうえ、被告公社従業員には原告以外にも多くの者が頸肩腕症状を訴えており、原告を診断したり作業内容の調査にあたった長谷川、前田、安藤、佐藤、鈴木の各医師も原告の症状が業務に起因すると認めているのであるから、原告の疾病は業務に起因するというべきである。

第四業務起因性についての被告の主張

一  原告主張に対する認否反論

1  U2L作業の具体的内容について

(一) 操縦作業

(1)の包装機操縦作業は運転操作、包か用紙及び封かん紙の解包、さばき、整理及び供給、アルミ箔の取付けと供給、のりの供給、ボール箱の解束供給、レッテルの整理、損傷品の整理と払い出し、注油及び監視からなるのは概ね原告主張のとおりであるが、そのうち主要な作業は材料供給である。また、チェックシートと称する特別な書面は存在せず、運転日誌の記載も実体としてはなされていなかったし、他部門の兼務ということも有り得ない。

(2)の操縦責任者としての作業負担については、U2L作業は包装操縦作業、巻入れ作業、セロハン上包機操縦作業、ボール箱詰作業を一連のものとして四人の直接従事者がチームを組んでローテーションによって行う作業であり、そのうちで先輩格の者をチーム内の事実上のリーダー格として操縦者と呼んでいたものであり、操縦格の作業量が他の三人より多いというものではないし常にU2L作業全体の責任を負担させられた状態にあるというものでもなく、各作業従事者が各自の分担作業を責任をもって遂行していたものである。だからこそ、不良品の発生や製造数量が少なかった場合に操縦格に対して処分がなされるようなこともなく、給与面でも他のメンバーと同等であったのである。したがって操縦格であったからといって原告に特別な負担がかかったわけではない。また、原告は操縦責任者として包か用紙のさばきや封かん紙さばきを全使用量五万枚のうち五ないし六割を行ったというが、これも前記のように四人で分担して行えばよいものであり、原告が多少多くこの作業を行ったとしても、一一五分の間の余裕時間の合間に行えばよいことであるから、特別に負担となるものではない。

(3)の材料供給作業の負担について、包か用紙の供給は材料運搬車からさばき済の包か用紙を約五〇〇枚取り出してこれを包か用紙供給部へセットする作業であるが、約五分間隔で行い、約九〇〇グラムの包か用紙を供給部のガイドに沿って短時間で供給するものであり、また封かん紙さばきは封かん紙さばき台からさばき済の封かん紙を約一〇〇〇枚とり、封かん紙供給部にセットするもので、約九分間隔で行われるものであるが、腕や肩に負担になる作業ではない。アルミ箔の供給(取付け)は空になったアルミ箔の巻芯をはずし、重さ四キログラム程度のアルミ箔を取り付ける作業をいい、一回四〇秒で三四分に一回、一ローテーション当たり約四回程度の取替えが必要となる。またアルミ箔の接続供給に要する時間は約二〇秒である。のりの供給は包か用紙、封かん紙、レッテルを貼るためののりをのり壺へ供給する作業であり、包か用紙のりは二時間に一ないし二回、封かん紙のりは三〇ないし六〇分に一回、レッテル貼り用ののりは一ローテーション内で一回供給している。これは回数も少なく、作業量、内容的に特段負担になるようなものではない。

(4)のうち包か用紙さばきの負担については、それぞれ一〇〇〇枚単位で束ねられた包か用紙やから帯封をはずし、材料運搬車上で五〇〇枚単位で紙をずらし、右手で持ちながら左手で四ないし五回回転させて行うもので、所要時間は約五秒であり、封かん紙さばきは、さばき台上で一〇〇〇枚単位で重ねられた封かん紙の帯封をはずし、両側面をワイヤーブラシで三、四回こすってさばくもので、所要時間約三秒にすぎず、これらの一日の使用量五万枚を前記のように四人で分担して行うもので、特段負担になるものではない。

(5)の運転操作作業については、作業開始時に押しボタンを押し、クラッチを入れてU2L包装機を起動させ、また休憩や清掃時間前にクラッチを切り、押しボタンを押してU2L包装機を停止させる作業であって、朝の起動時と休憩前の停止時に二回右の操作をすればよいだけであり、また、その作業姿勢は中腰ではなく前かがみ程度であり、ハンドルも小学生でも動かせるような軽いものであって負担になるような作業ではない。

(6)の製品検査作業については、起動時に最初の包か品を五ないし六個を包装機から排除して検査するものであり、不良包か品の解包整理は巻入れ、セロハン上包機操縦者と共同して作業の合間に行うものであって、いずれも作業量としては取るに足りない。

(7)のその他の作業のうち、監視作業は材料品供給のタイミングをとるため機械の運転状況を見守り、時々製品の状態を見る程度の行為をいうにすぎず、ボール箱の運搬は一回当たり三〇〇枚、約一〇キログラムのボール箱紙を作業中二ないし三回材料品運搬車から四、五メートル離れたボール箱台まで移動するもので、特段中腰姿勢を取るものではなく、作業量的に負担になるものでもなく、のり壺の運搬も同様である。また、注油は朝の作業開始時に約四〇箇所に油差しで一、二滴ずつ給油をするものに過ぎない。このように、包装機操縦作業はその内容的に身体に負担をかけるようなものではないうえ、作業者効率は六〇パーセントであり、手待時間には従業員は材料品運搬車に寄り掛かる等各人が工夫して待機していたものである。

(二) 巻入れ作業について

巻入れ作業とは、巻上品の供給、トレー運搬車の交換、レッテルの供給、巻上品の監視、チェックシートの記録、損傷品の整理等からなり、その内の主要な作業である巻上品の供給は一分五〇秒ごとに一トレー(巻上品四〇〇〇本入りの容器で重量六・六キログラム)をU2L包装機に供給する作業であり、トレー運搬車からトレーを引出し、トレーを持ち上げることなく二ないし三歩動いて腕を下げた状態でホッパーまで運び、反転部のハンガーに掛け、底板をトレーにセットし、反転ボタンを押し、反転部がホッパー上部に上がり、静止するのを待ち、ホッパー内部の巻上品の揃えを確認してから底板を右側に引き抜き、底板を元の位置に戻しながら供給した巻上品の揃えを確認し、不揃いの場合はその部分を手直しし、ホッパー内部の巻上品が基準線まで減ったところでボタンを押し、反転部が元の位置に戻り、静止してから空のトレーを外し、トレー運搬車上に戻す作業である。底板は床から一二〇センチメートル程度のところで引き抜くが、原告が主張するように身体を捻ることはなく、また巻上品の断面検査もトレー上部の不良の有無を一瞥検査するだけであって原告の主張するような不自然な姿勢をとる必要はなく、頻繁に体を動かすこともない作業であって、一連の作業は三〇秒程度で終わり、他の作業がない場合は次の巻上品供給までの時間の一分二〇秒は椅子に座って待機しているものである。なお、被告公社では、昭和四二年から巻上機に不良巻自動排除装置がセットされた高速巻上機MMC二〇〇〇を導入しており、不良巻は自動的に排除されるようになっていたから不良巻が包装機に送られることはなく、原告の主張するように不良巻の除去等が負担となることはありえない。また、原告は右作業の他に一一種類の作業があったと主張するが、一連の作業を細分化して主張しているものにすぎないし、またローテーション制度をとっていた以上、操縦作業の応援等の業務を行うことはない。

(三) セロハン上包機作業について

セロハン上包機作業は運転操作、包か詰品のセロハン上包機への供給、包か詰品のプール、損傷品の整理からなり、その主要なものは包か詰品のセロハン上包機への供給である。運転操作はクラッチを右手で押したり引いたりするもので、腰を回転させるまでもなく肩を若干回す程度でできるものである。また包か詰品のセロハン上包機への供給は、包装機から毎分一一〇個の割合で送られてくる包か詰品を一回あたり一八ないし二三個を両手でつかみ、作業台の上で一瞥検査したうえで左手を上、右手を下にしてセロハン上包機のホッパーへ供給する作業であり、一ローテーション内の供給回数は五八六ないし六四〇回となり、包か詰品供給行為は一分あたりの平均五・五回程度で、一サイクルの時間は一〇・九秒であるが、一回あたりの供給時間は五秒程度であるから、手待時間が五・九秒程ある。なお、原告は包か詰品を供給する際に作業台上で製品を揃えて四面検査をしなければならなかったので上肢に対する負担となったと主張するが、これは作業台上で姿勢を変えることなく約二〇個の三面を一瞥検査をするだけのことであって、原告主張のような負担となるものではない。また、包か詰品のホッパーへの供給も足を踏ん張ったり体を極端に捻ったりするものではなく、原告主張のような負担の大きい作業ではない。また、包か詰品のプールはセロハン上包機(毎分一一五回転)とU2L包装機(毎分一一〇回転)の回転数の差によってセロハン上包機を間欠運転する際やセロハンやセロハンテープの取替えの際にセロハン上包機を停止し、包か詰品を一時プール箱に保管するものであり、不良品の発生とは関係なく、そもそも不良品の発生は少ないうえ、仮に不良品が発生した場合にはだか製品を包か詰品とする作業があったとしても、これはセロハン上包機作業者に限らず、包装機操縦作業者や巻入れ作業者が余裕時間に行うものに過ぎないから、負担とならない。

(四) ボール箱詰作業について

ボール箱詰作業はボール箱詰、セロハン及びセロハンテープの取替え、不良セロハン上包品の解包からなり、その主要なものはボール箱詰作業であり、セロハン上包機から毎分一一五個の速度で送り出されてくるセロハン上包品を一〇個ずつ二回に分け、二面を一瞥検査し、折り畳んであるボール箱に載せてボール箱を指で折り曲げながらレッテル貼機に左手で挿入する作業である。ボール箱詰行為は毎分五・五回、一サイクル一〇・九秒のうち実作業時間七・五秒で手待時間が三・四秒ある。なお原告はセロハン上包品の四面検査をする際に上肢に負担がかかったと主張するが、セロハン上包品の検査はセロハン上包機から一個ずつセロハン上包品が出てくるときにチェックでき、またボール箱に一〇個ずつ両手で入れる際に一瞥検査ですぐに判断できるものであって、上肢に負担を与えるものではない。またボール箱詰作業は伸縮自在の背付回転椅子に座って行い、自由な作業姿勢をとることができるし、両腕は作業台上に置いていればよいものであるから中空に浮かした状態でいる必要もなく、ボール箱をレッテル貼機に押し込むのも左手で台上をすべらせて送り込むだけであり、手指、上肢、肩等に疲労を与えたり、腰部や下肢にも負担を与えないものである。

2  不良品の多発について

(一) 不良品の多発に関する原告の主張は否認する。

(二) 原告は昭和五〇年の発病時までの作業実態は機械の不調や不良品が多発したと主張するが、原告の従事したU2L包装機は、運転効率が九八パーセント程度の故障の極めて少ない安定した機械であり、原告自身が従事したU2L包装機の機械効率及び故障等による機械停止回数は月平均機械効率は九七ないし一〇〇パーセント、機械停止回数は一日当たり〇・一ないし〇・四回であって安定的に稼働していたものである。

(三) また、原告が従事していたU2L包装機の製造名型銘柄は主としてチェリーであったところ、同銘柄の紙巻たばこを製造する巻上機は、高速巻上機MMCであって、自動的に刻の供給量を調節する量目調節装置や紙巻たばこの先の刻み部分が欠落している「先落ち」を防止する装置が設置され、各種センサーにより自動的に不良巻が排除されることとなっており、巻上工程から包装工程に送られる巻上品に含まれる不良品は極めて少なかった。

3  操縦責任者制度について

操縦責任者制度についての原告の主張のうち(一)は認め(二)は否認する。これは前記のようにU2L包装工程に従事する四人一組のメンバーのうちで先輩格の者を事実上のチームリーダーとして操縦格と称していたにすぎず、操縦格の作業量が他の三人よりも多いということはない。

4  特包たばこ作業について

(一) 原告が従事した特包たばこ作業は通常の作業より負担が大きかったという原告の主張は否認する。

(二) 特包たばこは主として宣伝に利用されるものであるから包か用紙のデザインが異なるのみで、他の材料品は一般のたばこと全く同じものを使用して行われるうえ、特包たばこの包装作業の際には四人一組の直接従事者に加えて組長、二ないし三名の編成残、調整作業者が応援に入るものであり、特包たばこの包装作業開始時及び終了時には一旦U2L包装機を停止したうえで包か用紙を入替えて作業を行うものであって、このように混装防止のために機械の停止をしたうえ、特包たばこの包装頻度は一日一ないし二回と少ないからU2L包装機の作業従事者に緊張を強いるようなものではない。

5  作業方法等の改善について

改善の内容のうち、U2L包装機の作業台を低くしたこと、反転バケット方式からロータリー方式への変更、セロハン上包機操縦作業台の変更、ホッパーの改善、ボール箱詰供給台の変更、操縦作業者への椅子の設置、ボール箱置台にキャスターを付けたこと、ローテーションの変更、運転中の注油箇所を少なくしたこと、作業開始時の包か用紙や封かん紙のさばき枚数が一日四回のローテーションから一日八回のローテーションの変更に伴い減少したことは認めるが、これらの改善変更によって従前の作業内容に変更をもたらすようなものではない。これらの変更は、作業者の従前の業務の過重な負担を軽減するために行ったものではなく、職員からの改善提案に従ったものにすぎず、被告公社では職員のモラル向上のためにその改善提案は支障がない限り採用していたものである。

6  作業環境について

劣悪な作業環境であったとの原告主張は否認する。室温は一八・九ないし二七・二度で事務所衛生基準規則に定める範囲内であり、照明も労働安全衛生規則に定める一五〇ルクスを大きく上回る二二五ないし二七八ルクスであり、騒音も日本産業衛生学会の聴力保護のための許容基準内であり、塵埃については工場空間が大きく、床面の清掃も励行されており、空調設備も完備しているから塵埃は少なかった。それゆえ日本能率協会や大久保助教授の調査でもいずれも問題はないとの評価がなされており、原告の疾病の要因となるようなものはなかった。

7  第一回復職時の業務について

原告が従事した業務内容とその期間については認める。原告が従事した編成残や離席交代要員の業務は機械作業従事者と比べると軽易な業務に従事するものに過ぎない。

8  第二回復職時の業務

(一) 原告に勤務軽減措置が適用され、当初半日勤務で巻上品運搬作業に、五月二〇日から材料品運搬、巻上品運搬作業に従事したことは認める。

(二) 巻上品運搬作業は巻上機の手元から巻上品四〇〇〇本が入ったトレー一〇個を積載した実トレー運搬車を巻上工程と包装工程の中間にある巻上品プール場へ運搬し、巻上品プール場から実トレー運搬車を各包装機手元へ運搬し、帰路空になったトレー運搬車を空トレー運搬車のプール場へ運搬し、空トレー運搬車を空トレー運搬車のプール場から巻上機の手元へ運搬するという四つの作業からなる一連の作業であって、トレー運搬車は始動時でも実車で約二・八キログラム、空車で約二キログラムの力で運搬することができる。

また、材料品運搬作業は、包か用紙、封かん紙、ボール箱、レッテル等の材料品が積まれた材料品運搬車を材料品プール場から各包装機の手元まで運搬する作業であり、U2L包装機作業にかかる材料運搬作業は朝の作業開始時に一回行うのみであり、材料品運搬車の重さは材料品満載時に約三二四キログラムであるが、キャスターがついているため始動時でも実車で約七・六キログラムの力で動かすことができるものである。

9  原告の症状経過と業務内容の関係について

原告の診療経過については争いのない事実に記載のとおりであるが、業務との関係は否認する。

10  原告を診断した医師の所見について

原告は、長谷川、安藤、佐藤、前田医師らは原告の疾病を日本産業衛生学会の頸肩腕症候群委員会の定義に基づいて業務に起因する頸肩腕障害と診断し、鈴木卓医師も業務との関係を肯定している旨主張するが、右委員会は、臨床的な頸肩腕症候群と区別して頸肩腕障害なる診断名を提案し、健康障害をその原因である労働との関連で総合的に把握するとの視点から頸肩腕障害を「上肢を同一肢位に保持又は反復使用する作業により、神経・筋疲労を生ずる結果おこる機能的あるいは器質的障害である」と定義している。しかしこの定義では頸肩腕障害なる病名が一定の作業の従事が当該疾病の原因であることを前提としているが、本来当該疾病の原因の存否の判断にあたっては、患者の体質、素因、生活歴等を充分考慮に入れたうえ、その作業態様、従事期間、業務量を総合しての判断が必要であるというべきであって、頸肩腕障害についてのこのような定義をすることは許されず、このような頸肩腕障害の定義を前提とする長谷川、前田医師らの頸肩腕障害との診断があったからといって医学的に見て業務起因性が肯定されるということは相当でない。また、長谷川医師は内科医であり、本来整形外科の専門領域である頸肩腕の疾病の診断をするのは適切ではないうえ、原告の初診時(昭和五〇年八月二九日)に原告が同医師に告知した作業内容、作業量等に基づいて直ちに業務に起因する頸肩腕障害と判断し現実の作業内容やWF値に基づく作業者効率等を知らずに診断を下しているものであり、さらに医学的に原告の症状の発生機序についての説明もないから、同医師の診断には信用性が乏しい。なお、佐藤医師の鑑別診断結果には頸肩腕障害と記載されているが、業務起因性については否定も肯定もしていないというべきである。また、鈴木卓医師の診断名は頸肩腕症候群であって、同医師が業務起因性を肯定しているものということはできない。

11  原告の発病の背景にある被告公社の合理化施策等について

(一) 被告公社が昭和四三年一一月にこれからのたばこ事業なる長期経営計画を策定したこと、昭和四四年六月に第一次中期経営計画を策定したこと、昭和四九年二月には第二次中期経営計画案を策定したことは認めるが、これらは原告の従事したU2L包装機作業に何の影響も及ぼしておらず、合理化により原告に対する労働強化が行われたことはなく、合理化施策と原告の疾病との間には全く関係がない。

(二) 合理化によって頸肩腕障害が多発したとの主張は否認する。

12  頸肩腕症候群について

原告の主張する頸肩腕障害の定義は相当でない。

頸肩腕症候群は整形外科的立場から頸椎柱及びその周辺の軟部組織の解剖学、生理学的弱点に基礎を持ち、これに加令による退行性変化が加わって発症した頸、肩、腕、手、指の連鎖的疼痛、しびれ、冷感、脱力感という病訴に脊髄、脊髄神経根、腕神経叢、末梢神経の圧迫刺激状態、レーノー症候群のような血管運動障害、バレリュー症候群のような後部頸交感神経症候群などを包含する症候群とされており、頸椎に何らかの病変があり、しかも原因として年令的要因が重視され、その結果として発症したものであると考えられている。そして、頸肩腕症候群は単一の疾患名を指すものではなく、変形性頸椎症、頸椎椎間板ヘルニア、胸郭出口症候群等病因が明確なもののほか、原因不明で多彩な不定愁訴を主とするものの総称であり、明確にその疾患名を特定できるものを除いたものが狭義の頸肩腕症候群といわれ、業務起因性が問題となるのはこの狭義の頸肩腕症候群であり、若年者や女性に多く発生することから短絡的に労働の負荷という外因のみをもって発症の原因とすることは医学常識的にみても妥当でなく、体質、素因、生活歴、基礎体力、罹病歴等各人の様々な素因を基礎にし、これらの要素を考慮に入れたうえ、その作業態様、作業従事期間、業務量、職場環境等を調査して結論を出さねばならない。これに対して原告の主張する日本産業衛生学会の定義する頸肩腕障害の定義は病像形成に精神的因子及び環境的因子の関与も無視しえないというのみで体質的素因や基礎疾患といった重要な要素を無視しており、しかもその定義では業務による障害を対象とするというが、何が業務による障害かが判然としないままにこれを定義の中に用いる点で整形外科の臨床医の立場からはなお容認されているとはいいがたいものであり、その五段階の病像についても異論があるところである。

13  五九号通達について

(一) 各通達の存在は認める。

(二) 原告は五九号通達は日本産業衛生学会等から批判があり、労災保険行政上の内部指針にすぎない同通達をもって民事裁判上の業務起因性の判断基準とすべきではない旨主張するが、同通達は医学的権威者により構成される専門家の会議において整形外科学会と見解を異にする日本産業衛生学会の研究報告等も参考にして現時点で医学的に解明されている範囲を集約したものであり、民事裁判のうえでも業務起因性の判断基準とすべきものである。

二  被告の主張

1  原告が従事したU2L包装機作業は五九号通達の定める基準からみて本件疾病の発症原因となるものではない。

(一) 作業態様については前記のとおりであり、同通達のいう手指の繰り返し作業である上肢の動的筋労作又は持続的に上肢を前方あるいは側方上位に空間に保持するという静的筋労作にあたらないというべきであり、仮にセロハン上包機作業やボール箱詰作業がこれにあたるとしても、いずれも一分間に上肢を五、六回使用する程度であり、これを過度に使用する業務とはいえないし、ローテーションにより性格の異なる他の作業に従事し、手待時間も多く、局所疲労が蓄積される作業とは考えられない。これは日本能率協会の調査によってもこれら二つの作業に直接携わる時間は合計一日一二五分であり、従事日数も月一四、五日であることから上肢に与える影響は大きくないとされている。

(二) 作業量についても、同通達のいう業務量の過重な状態や業務量に大きな波がある場合にあたらない。すなわちU2L包装機作業は機械の回転数が毎分一一〇回転に固定され、ローテーションをとり、三台に一人の割合で離席交代要員が配置されていること、U2L包装機の運転効率が九八パーセント程度であって、トラブル等を生じることが稀であるから特定の作業者について作業量が特に増加することもない。また、原告が従事したU2L包装機作業について残業は皆無に等しく、業務量は殆ど一定であり、日本能率協会の調査結果においても同種の他の労働者と比較して過重であるとはいえず、むしろ軽い作業であるとしており、労働衛生学、労働生理学、人間工学的観点からU2L包装機作業を調査した大久保助教授の調査結果でも本件疾病に結びつくような要因はないとしている。

(三) また、五九号通達は、療養に関し「個々の症例に応じて適切な療養を行えば概ね三か月程度でその症状は消退するものと考えられる。したがって、三か月を経過してもなお順調に症状が軽快しない場合には他の疾病を疑う必要がある。」としている。しかるに原告は(1)昭和五〇年九月一日から昭和五一年六月九日まで九か月と一〇日休業して第一回復職後(2)昭和五一年九月三〇日から昭和五五年三月二〇日まで三年五か月休業して第二回復職後(3)昭和五五年七月二四日から昭和五九年一月一九日まで休業し失職するまでの三年五か月も業務を離れていたにもかかわらず、復職直後から腰痛、肩凝り、腕のしびれ等の症状を訴え、診療所において恒常的に治療を受けている状態であり、失職後現在に至るまでその症状は消退していないというのであるから、右療養期間からしても本疾病は業務に起因するということは疑わしいというべきである。また、医学的にみても石田、富永、吉沢、松元、小林、鈴木信正医師の各意見ではいずれも業務起因性は否定されている。

2  原告の疾病の主因

原告の本件疾病は業務に起因するものではなく、次のような原告の産婦人科疾患、虚弱体質という素因及び頸椎の退行性変化を基礎として発症したものである。

(一) 産婦人科疾患

原告の病歴、診断歴等によると原告は妊娠の都度切迫流産やつわりによる入院加療を繰り返し、流産や死産を経験していること、卵巣機能不全と診断されていることから原告には婦人科的障害があるというべきであり、石田、富永、吉沢の各医師は本件疾病の基礎に原告の産婦人科疾患の素因があるとしている。

(二) 虚弱体質

原告の病歴には感冒、胃炎、座骨神経痛等の多彩な病歴を有しており、石田、松元、小林の各医師は原告の本件疾病の基礎に虚弱体質という体質的素因を指摘している。

(三) 頸椎の退行性変化について

佐藤、石田、鈴木信正の各医師によると原告のレントゲン所見では頸椎の生理的前弯消失、第五腰椎・仙椎間の狭小化と運動性の減少、腰仙角の直線化等が指摘され、これに頸椎の退行性変化が加わって原告の訴える肩凝り、頭重、頭痛、腰背部痛等の原因になっているものである。

(四) 変形性頸椎症について

頸椎椎間板には多量の水分が含まれているが、これは年令と共に減少し、これによって椎間板狭小化、骨棘形成が生じて椎間孔及び神経根や脊髄が通っている脊柱管が狭くなると、神経根や脊髄が圧迫刺激されて症状が発現する場合(変形性頸椎症)があり、また変形性頸椎症のX線所見が得られる以前に変形性頸椎症の臨床所見が得られる場合もある(前脊椎症)がこれらの症状としては頭痛、頸椎の特定方向への運動制限、下肢の痙性麻痺などの脊髄の刺激症状、中指、小指の痛み、しびれ感、凝りなどの機能的器質的神経根刺激症状が上げられる。石田医師は頸椎の生理的前弯消失・第五、第六頸椎の不安定性、ルシュカ突起の先鋭化、腰仙角の減少、腸腰靱帯の腸骨付着部の骨化といったX線所見及び整形外科的所見を総合して変形性頸椎症との医学的見解を示している。

3  結論

以上の点から、原告の疾病は被告公社の業務に起因するものとはいえず、原告の体質的素因が基礎となって発症しているものである。

第五安全配慮義務についての原告の主張

一  被告の頸肩腕障害発生の予防義務と健康管理義務

1  被告は従業員に対して労働契約上、又は法令上定期一般健康診断を行う義務、一定の作業につき常時健康障害発生のおそれのある業務に労働者を従事させる場合等に特殊健康診断をすべき義務、健康診断の結果従前の労働に従事させたのでは健康障害を増悪させる場合には就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等適正に労働者を配置すべき義務、産業医の選任と健康障害の防止のための必要な措置をとるべき義務、安全衛生委員会により職場の労働者の安全と健康に関する基本事項を調査審議し、安全衛生管理に資する義務という一般的な義務を負っているものであるが、昭和三五年以降わが国で頸肩腕障害が社会問題化し、疎外松本澄子の頸肩腕障害の発生(昭和四八年)、昭和四六年の静岡県評の合理化対策委員会による調査、浜松工場女子職員の自覚症状調査が昭和四九年の日本産業衛生学会作成の調査表により報告されていたこと、昭和四九年一〇月から昭和五〇年九月までに被告自身が行った頸肩腕障害の実態調査等により被告の労働現場から頸肩腕障害が発生することを充分に予見していたものであるから、その労働者に対し次のような具体的な義務を負っていたものである。

(一) 定期又は臨時の健康診断を受けさせる義務

(二) 健康障害者に対して作業軽減措置をなす義務

(三) 頸肩腕障害など職業病につき専門医による特別健康診断を実施し、その診断結果を当該労働者の就労に反映させて就労制限等適切な措置を講ずべき義務

(四) 合理化に伴う作業負担の増大による労働条件の変化に対し、作業条件を改善する義務

(五) 騒音、温度、換気等作業環境の改善義務

(六) 頸肩腕障害の多発に鑑み、その危険性を労働者に教育し周知させる義務

(七) 頸肩腕障害の多発について調査研究し、その防止のための措置を講ずる義務

2  被告の義務違反

(一) 適正労働配置等による作業条件の改善義務違反((二)ないし(四))

原告は昭和三九年ころからU2L包装機作業に従事し、昭和四七年には操縦責任者となり、とりわけ昭和四九年の産休明けから操縦責任者として配置され、前記のような作業内容のもと過酷な負担に悩まされ、昭和四四年ころから身体の不調を訴えて公社診療所等を受診し、右腕関節症、職業性腱鞘炎等の診断を受け、昭和四九年には公社診療所で継続的に治療を要する旨の診断を受け、昭和五〇年には頸肩腕障害により休業、入院に至ったものである。

このような原告の状態を被告は診療所カルテ上知りえたのに、原告に対して何ら作業条件を緩和せずに機械の不調や不良品の多発による過重負担を放置し、また原告を編成残への繰入、休業及び治療の機会の補償、制限勤務や配置転換などの措置を講じなかった。

(二) 作業環境の改善義務違反((五))

前記のように高速巻上機による騒音や作業場内の冷房の過度の作用による冷気の影響、塵埃のひどさという劣悪な作業環境を知りながら、何らの対策も講じなかった。

(三) 頸肩腕障害について特別健康診断とその治療所見を労働条件に反映させる義務の違反((三))

原告は公社診療所を始めとする医療機関に受診し、被告の産業医であった鈴木卓医師は原告の症状の増悪や疾患の重大なことを知っていたのだから、被告に原告の労働条件と作業環境の改善を具申すべき義務があるのにそのような措置をとらなかった。

(四) 頸肩腕障害の危険性を労働者に周知徹底させる義務の違反((六))

前記のように被告は労働現場における頸肩腕障害の発生の危険性を知りえたのだから、労働者のすべてに対してその危険性を周知徹底してその予防措置を講ずるべきであったのに、そのような措置をとらなかった。

(五) 頸肩腕障害についての調査研究等の義務違反((七))

被告は前記のような頸肩腕障害の多発状況を知りながら、被告の安全衛生委員会は頸肩腕障害にかかる問題について調査や対策を審議せず、その他みるべき調査研究や対策をしないまま放置した。

二  原告の頸肩腕障害の再発・再再発について

1  被告は原告の第一回復職を認めるにあたって頸肩腕障害の再発予防義務があり、そのためには主治医の診断所見を尊重し、原告の復職後の作業内容、作業時間について再発のおそれのないようにすべき義務があり、昭和四八年に労働省が発した職場復帰訓練通達(五九三号通達)でも療養を継続しながら就労することが可能と医師が認めた者については主治医の意見に基づき規則的かつ段階的に就労させるなど適切な措置をとるべきことが義務付けられている。

2  第一回復職時の経緯

しかるに被告は右義務を怠り、昭和五一年三月二三日の主治医長谷川医師の作成した復職可能な状態であるが、段階的時間延長及び時間内の体操、休憩を要し、当面一か月は午前半日程度の就労が適切である旨の診断書を提出し、職場復帰訓練を申請したが、被告はこれを拒否し、一日勤務可能という診断書を提出すれば作業は配慮するとしたため、原告はやむなく安藤医師の「六月七日以降就労に支障なし」との診断書の提出をして同年六月一〇日に第一回復職が可能となったものの、復職後に原告に課せられた労働は一日九時間拘束の八時間勤務で体操の時間も一日二回に制限され、U2L包装機作業に就労させられたものであり、原告は九月二六日に浜松工場長あてに体操時間の延長や軽作業への配置換えを申し出たが被告はこれを拒否し、同月三〇日には症状増悪のため頸肩腕障害の再発という就労不可能な状態に追い込まれ、再休業を余儀無くされた。

3  第二回復職時の経緯

(一) 第二回復職時にも被告は前記再発予防義務を怠った。

(二) 原告は第二回休業中の昭和五二年五月一八日、主治医長谷川医師により午前半日のリハビリ勤務可能と診断され、安藤医師からも同月三一日付の階段的就労によって労務に復帰せしめるべきものと認めるとの診断を受け、これらの診断書を基にして被告に復職を申し出たが、被告は拘束九時間の勤務でなければ受け入れられないといってこれを拒否し、昭和五三年一月の労使協定により勤務軽減措置が発効した後は勤務軽減措置による復職を六回にわたる原告の申出も拒絶され昭和五五年三月五日付の医師の午前半日のリハビリ勤務可、勤務軽減措置の適応可能との診断所見を得てからも再三同様の申請をした結果、同月二一日、第二回復職を決定した。

(三) 第二回復職後の原告の作業内容は前記のとおりであって巻上品の運搬作業は一六〇ないし一七〇キログラムに及ぶ運搬車を運ぶものであり、全一日作業となった五月二〇日からは材料品運搬も課せられ、症状に応じて台数を増加するという原告、主治医、被告との約束も破られ原告の症状を無視して作業台数が増やされていき、正常配置者と同様の負担が課せられた。

第六安全配慮義務違反についての被告の主張

一  原告の頸肩腕症候群の発生に関する安全配慮義務違反について

原告の主張はすべて争う。U2L包装機作業及び作業環境については前記の被告主張のとおり、頸肩腕障害の発生に結びつくようなものではなく、その作業自体軽作業であり、職員の安全を確保する上で被告が特別な施策を必要とするものではない。

二  再発、再再発予防義務違反について

1  第一回復職について

(一) 復職の可否については就業規則五八条一項により、必要があると認められるときには被告の医師又は被告の嘱託する医師の診断を求め、その職員が正常な勤務に耐えられるかどうかを判断して復職の可否を決することとなっており、症状の軽快していない者が復職を求めた場合にその使用者が療養に専念して健康を回復すべきことを指示し、疾病が治癒してもはや療養を要しない状態に回復し、原則として所定の勤務時間正常に勤務することができるようになって初めて復職すべきものであるから、半日勤務可能との診断書に基づく原告の復職申出を拒否したのは当然のことである。

(二) そして第一回復職後には前記のようにU2L包装機作業への正規配置を留保し、昭和五一年六月一〇日から九月一〇日までの間編成残や離席交代要員とし、かつ、U2L包装機作業への従事させる場合についても復職後二週間は一ローテーション中二〇分、以後は五〇分の作業時間とし、午前午後各二〇分の体操時間を設けるなどの配慮をした。さらに同年九月一三日にU2L包装機作業に正規配置後も同年九月三〇日までの間一時間ローテーションとし、診療所での受診や体操を認めるという配慮をした。

2  第二回復職について

(一) 原告の復職申出を拒否したのは前記のとおりの理由からであり、また、被告のたばこ工場の作業形態は数人が一つの組となって作業を協同して行ういわゆる組作業であるから日々の生産活動を円滑に実施するうえで最も重要なのは組の編成や各組にどの作業をさせるかであって、かかる作業編成上の制約のなかで五九三号通達を最大限に尊重するものが勤務軽減措置であるところ、勤務軽減措置の適応可能という診断を得て復職を認めたことは安全配慮義務を尽くしていたというべきである。

(二) 第二回復職時の原告の作業内容は前記被告主張のとおりであり、勤務軽減措置期間中は原告の主治医長谷川医師の了解を得たうえで巻上品運搬作業という負担の軽い作業に従事させたうえ、担当する巻上機の台数を当初一台とし、一週間程度の間隔で徐々に受持台数を増やしていき、最高四台までに止めたものであり、原告の要望を入れて午前半日勤務のなかで二回の体操時間を認めるという再発防止の配慮を尽くした。また、勤務軽減措置終了後の昭和五五年五月二〇日からは材料品運搬の業務も加わったが、これは包装課の業務中で最も軽易な作業であったうえ、健康管理上の配慮として一日二回の勤務時間中の体操及び診療所でのホットパック治療を認め、七月三日からは低周波治療を認めるなど安全配慮義務を尽くしていたものである。

第七損害等についての原告の主張

一  被告による解雇(失職)について

被告が業務に起因して頸肩腕障害に罹患した原告を昭和五九年一月一九日に休職期間満了により失職させたのは実質的な解雇処分であり、就業規則六〇条三項の適用を誤り、労働基準法一九条の解雇制限に反するから無効であり、原告は被告に対して雇用契約上の地位を有するものである。

二  賃金相当額の支払請求

右のように原告は昭和五九年一月二〇日以降も被告との間で雇用契約上の地位を有するから、昭和五九年一月二〇日以降失職時の原告の給与相当額である月額一七万三九〇〇円の割合の金員の支払いを求める。

三  損害

原告は被告に対し、安全配慮義務違反に基づいて原告に発生した左記の損害のうち三九八七万三一九八円の賠償を求める。

1  逸失利益 一〇一〇万二一三三円

2  治療費 二〇二万六八七五円

3  機能回復訓練費 三二万五二四〇円

4  入院雑費 三万二七二〇円

5  通院交通費 三七八万六二三〇円

6  慰謝料 二〇〇〇万円

7  弁護士費用 三六二万円

第八損害等についての被告の主張

すべて争う。

理由(争点に対する判断)

(業務起因性について)

一 第一回休職までの業務内容

1 原告の従事した作業

(一) 原告は昭和三七年に被告に入社し、浜松工場装置課に配属され、昭和三九年一一月ころからたばこ包装のためのU2L作業に従事した。(争いがない)

(二) U2L作業は四人一組で行われる作業で、巻入れ作業、包装機操縦作業、セロハン上包機操縦作業、ボール箱詰作業の四工程からなり、この流れ作業を四人で二時間ずつのローテーション制のもとで交代で担当した。(争いがない)

2 U2L作業(第一回休職まで)の作業態様

(証拠・人証略)原告本人尋問全部(以下単に「原告本人尋問」という)、検証の結果を総合すれば、第一回休職前における原告の作業の内容について以下の事実が認められる。

(一) 作業内容(項目)

原告の第一回休職前のU2L作業内容については双方の主張が細部にわたって相違し、原告本人尋問及び原告らが作成した作業内容説明書(〈証拠略〉)等と証人寺田道司の証言及び被告の作成した作業調査報告書(〈証拠略〉)等にも相違点があること、作業内容の改善があったために現在の作業内容の検証(ビデオテープ)をしても必ずしも当時の作業内容を再現できるものではないことからすると、本訴で提出された証拠の中で最も信用性が高いのは被告がU2L作業従事者のための教育資料として使用していた(証拠略)の「包装機作業(U2L型)」であり、それによれば包装機操縦作業には三五、巻入れ作業には二一、セロハン上包機操縦作業には一八、ボール箱詰作業には二一の単位作業があるとされ、また作業終了時の各作業者の機械手入れについても記載されている。また、(証拠略)によれば、原告が昭和五三年に申し立てた労働基準法八六条の審査請求の調査の際に、保険審査官が被告の提出した作業指導書等の資料や原告の提出資料に基づき、被告浜松工場に立入り検査のうえ作成したのが(証拠略)であり、それによると前記の単位作業の他に監視業務を加えたものが記載されて作業項目は増加している。また、(証拠略)は久留米大学医学部前田勝義医師が右審査請求使用として作成したものであるが、単位作業の項目は(証拠略)とほぼ一致する。これらの書証と前記の各証拠を総合すれば、原告の従事していたU2L作業の内容は別表(略)1ないし5のとおりの単位作業から構成されていたということが認められる。そこで前掲各証拠により、U2L作業のうちで主な作業についてその態様を検討すると以下のとおりであると認められる。

(1) 包装機操縦作業

(イ) 機械の運転、停止

作業開始、運転再開時に行うもので、起動時に押しボタンを押し、クラッチを入れる。この際にはクラッチハンドルの最下位が床上四二センチメートル程なので、上肢を屈曲させる。また、起動時には六、七個の包か詰品を取り出し、製品の検査をする。

(ロ) 包か用紙の解包、さばき、整理

材料供給の間に行われ、包か用紙の供給の前段階として行うもので、材料品運搬車上で包か用紙の帯封をはずし、五〇〇枚単位でさばくもので、左手で一束九〇〇グラムの包か用紙を持ち、右手で五、六回回す作業で三〇秒程度要する。原告はこれを一日の供給量五万枚のうち、二万五〇〇〇ないし三万枚行った。

(ハ) 封かん紙の解包、さばき、整理

封かん紙の供給の前段階の作業で、封かん紙さばき台上で一〇〇〇枚単位に束ねられた包か用紙の帯封をはずし、台上で左手で封かん紙の束を持ちながら右手で上下両側面をブラシでこすってさばき、作業台上に整理しておく作業で約三〇秒を要する。作業台の高さが六七センチメートルであったので腰を曲げて行う必要があった。

(ニ) 包か用紙の供給

四、五分に一回包装機の手元に置かれている材料品運搬車から一回あたり約五〇〇枚の包か用紙を包か用紙供給部へセットする作業であり、原告の肩の高さが約一二五センチメートルであったので両手を肩からやや上に上げて行うもので、四ないし四・五分に一回(約五〇〇枚)を一一五分の作業中に二四ないし二八回行った。

(ホ) 封かん紙の供給

封かん紙さばき台からさばき済の封かん紙を一〇〇〇枚取り、封かん紙供給部へ九分に一回程度、一一五分で一二ないし一四回供給する作業であり、原告は両手を使って封かん紙の供給を行っていた。

(ヘ) アルミ箔の取付け、供給

空になったアルミ箔の巻き芯をはずし、四・二キログラムのアルミ箔を取りつける作業であり、両腕を肩より上に挙上させて行うもので約三四分ごとに一回(一ローテーションあたり四回)、一回あたりアルミ箔の接続供給作業を含め六〇秒程度を要する。

(ト) のりの供給

包か用紙、封かん紙、レッテル貼り用の三種類ののりを各のり壺に供給する作業であり、のりの入った容器の重さは約一・五キログラムであるが、包か用紙及び封かん紙のりは九ないし一五分に一回、レッテル用のりは一回供給する。

(チ) ボール箱の解束供給

一束一〇〇枚(約三・五キログラム)単位のボール箱紙を材料品運搬車から約五メートル離れたボール箱置台まで運ぶ作業で、一回あたり三束、作業中三回程運ぶ作業である。

(リ) レッテルの整理

材料品運搬車から一束五〇〇枚のレッテル束を取り、片側の帯封をはずし、さばいた後二、三束をエプロン上に置く作業である。

(ヌ) 紙くずの払出し

材料品の解包等によって生じた紙くずを午前、午後各一回回ってくる不用品回収運搬車に入れるものである。

(ル) 注油

月曜日を除き、作業開始時の操業作業者が包装機の約四〇箇所に一ないし二滴ずつ注油するものである。

(オ) その他の作業

包装機各部の監視、材料の供給状況の監視も主要な作業の一つであり、その他には巻上品の落下不良時の操作、包か用紙、アルミ箔、封かん紙の繰り出し不良時の操作、口折れ部や第二プッシャーに製品が食い込んだときの操作、レッテル貼機異常時の処理、包か詰品の包か位置調整、セロハン、セロハンテープの供給準備、包か詰不良品の手直し、アルミ箔ブレーキねじの調整、損傷品の払出しの作業を要する場合があった。

(2) 巻入れ作業

包装作業の最初の工程で、巻上品四〇〇〇本入りのトレーをU2L包装機のホッパー内に供給する作業である。

(イ) 巻上品供給作業

トレー運搬車から、巻上品の入ったトレー(重量約六・六キログラム)を把手(その運搬車上のトレーの把手の高さは一一三センチメートル)をつかんで引き出しながら巻上品を一瞥して断面検査を行い、両手で巻上品がこぼれないようにトレーを体から離して持ち、途中でトレーを傾けて巻上品の断面を検査しながらトレーを巻上品供給部(ホッパー)まで運んで反転部のトレーハンガーに掛け、底板をトレー上部にセットし、反転ボタンを押し、反転部が上部に上がって静止するのを待ってホッパー内の巻上品の揃えを確認してから床上一二四センチメートルの所にある底板(長さ八一センチメートル)を右側に引き抜き、底板を元の位置に戻して供給した巻上品の揃えを確認し、ホッパー内の巻上品が基準線まで減ったところでボタンを押し、反転部がもとの位置に戻って静止してから空になったトレーをはずし、トレー運搬車に戻すという一連の作業であり、一分五〇秒ごとに一トレーの巻上品を供給し、一回あたり約三〇秒を要する作業である。なお原告の身長、底板を引き抜くときの高さ、底板の長さからして底板の引き抜きの際には身体のひねりを必要としたと考えられる。

(ロ) トレー運搬車の交換

一〇トレーの巻上品を供給し終えたときに空になったトレー運搬車と巻上品の入ったトレー運搬車を交換する作業で、一八分ごと一回行われ、一回あたり二〇ないし三〇秒程度の作業である。

(ハ) チェックシートの記入

トレー運搬車交換時に記入票を運搬車から取り、巻上品供給時にトレーを引き出してトレー内のフィルター断面と最上部の巻上品の不良の有無を一瞥検査してチェックシートに記入する作業であるが、原告の第一回休業前は一トレーごとに記入を行っていた。

(ニ) レッテルの供給

製品二〇個入りのボール箱に封印をして貼るためのレッテルを供給する作業でボール箱詰作業台裏側に整理してあるレッテルをレッテル貼機へ一回あたり約三〇〇枚を供給する作業であり、一時間に一回程度行い、一回あたり一分程度を要する。

(ホ) その他の作業

レッテル貼機へのインクの供給の他、レッテル繰り出し不良の監視、ホッパー内巻上品落下不良時の操作、ホッパー内巻上品不揃いの手直し、不良巻の除去、包か詰不良品の手直し、セロハン上包不良品の手直し、ボール箱詰不良品の手直し、損傷品の整理という作業が行われる場合があった。

(3) セロハン上包機操縦作業

包装機から毎分一一〇個の割合で送られてくる包か詰品を約二〇個ずつセロハン上包機のホッパーへ供給する作業であり、椅子に座って行う作業である。

(イ) 運転操作

運転開始時にクラッチレバーを引き起動させる作業及びセロハン及びセロハンテープ取り替え時や休憩時等にクラッチレバーを押して運転を停止する作業である。クラッチの操作の際には体の左下のひねりが加わる。

(ロ) 包か詰品のセロハン上包機への供給作業

U2L包装機から毎分一一〇個の割合で送られてくる包か詰品を一回あたり一八ないし二三個ずつ掴み、作業台上で一瞥検査し、包か詰品を左手を上にして伸ばした状態で手先を頭の上あたりまで挙上し、右手を包か詰品の下に添えてホッパーに供給する作業である。

(ハ) 包か詰品のプール

毎分一一五回転のセロハン上包機と一一〇回転のU2L包装機の回転数の差があるためにセロハン上包機の間欠運転を行うもので、一日数回、セロハン上包機を止めて包か詰品を作業台上のプール箱に一時保管するものでセロハン及びセロハンテープ取り替え時にも行う作業である。

(ニ) その他の作業

不良包か詰品の取り出しや手直し、包か詰品不足の場合の処置、セロハン上包機の異常時の処置、セロハン繰り出し不良時の処置、セロハンテープの位置調整等の作業があった。

(4) ボール箱詰作業

ボール箱詰作業とは、セロハン上包機から送られてくるセロハン上包品を検査し、一ボール箱に二〇個ず包みこんでレッテル貼機に送り込む作業で椅子に座って行うものである。

(イ) ボール箱詰作業

ボール箱を右手で取って折り曲げ、毎分一一五個の速度で送られてくるセロハン上包品を一〇個ずつ四回一瞥検査を行い、ボール箱を両手で折り畳み、箱型にした後左手であて板に沿ってレッテル貼機に押し込む作業である。

(ロ) セロハン、セロハンテープの供給

セロハン上包機を止めて椅子から離れ、一巻三・八キログラムのセロハンを五四分ごとにセロハン上包機に取りつける作業及び、セロハンテープを一日一回程度セロハン上包機に取付ける作業である。

(ハ) その他の作業

セロハン上包不良品の解包や除去、セロハンやセロハンテープの繰り出し不良時の調整、セロハン位置の調整、セロハン上包機異常時の処置等があった。

(5) 作業修了(ママ)時の作業

一日の作業終了時に一五分間、包装機操縦、巻入れ、セロハン上包機操縦、ボール箱詰の各作業の従事者がそれぞれの機械の運転を停止し、各機械の清掃や後片付けをするものである。

二 作業の負担を過重した要因について

1 操縦責任者

(一) 原告は昭和四七年九月から作業チームの事実上の責任者である操縦責任者(操縦格)とされ(争いがない)、昭和四九年五月からは、特包たばこを扱う混合ブロックに配属され、U2L七号機の操縦責任者とされてチェリーの製造に携わり、四九年九月から昭和五〇年七月まではU2L二号機の操縦責任者であったが、昭和五〇年八月一日からは操縦責任者からはずされた。なお原告が第一回休職直前の時期にU2L二号機、七号機で担当していたのは主としてチェリーの製造であった。(〈証拠略〉(枝番を含む)、〈証拠略〉(枝番を含む)原告本人尋問)

(一) 操縦責任者は必ず午前八時五分から始まる最初のローテーションで包装機操縦作業を担当した(争いがない)が、これは始業時に機械不調が出やすいためベテランの従業員に作業を担当させ、作業を円滑に進行させるためである。始業時に包装機械操縦作業を担当するため包か用紙のさばき枚数が他の三人が余裕を持って作業することができるようにするために多くなり、のり壺にのりを汲み上げて運んでおくこと、始業時の注油作業の負担がかかり、また、ベテラン作業者として他の機械異常、不調が発生したときにそれを支援することもあった。しかし、操縦責任者が品質管理の責任を負わされていたことはない。また、包装機操縦担当者は作業従事者が用便時などの短時間離席する場合の応援や他の作業者と協力しながら作業をすすめるため他の作業状況に気配りをする必要があったものと認められるが、U2L作業は四人一組となって四種類の作業を交互に分担する制度であることから各機械の監視や品質検査は基本的に各作業従事者が行うべきことであって、これらの監視業務、応援業務が操縦責任者としての特別の負担であったとはいいがたいというべきである。(〈証拠・人証略〉)

2 不良品の発見、除去、手直しの負担について

(一) 不良巻について

(1) 不良巻とは、巻折れ、先落ち等巻上品の不良で一四種類あった。巻上機MMC二五〇〇はマーク八紙巻機にマックス三フィルターチップアタッチメント、カスケードトレフィーダーを組み合わせたものであるが、このうちマーク八紙巻機とマックス三フィルターチップアタッチメントには不良巻排除装置が取り付けられ、カスケードトレフィーダーにはそれが取りつけられていなかったこと、前記不良巻排除装置では排除しえない不良巻が存在したため、不良巻が発生した。

(2) 原告の作成した運転日誌分析表(〈証拠略〉)によると、包装機運転日誌の製品(ボール箱詰品)となった巻の数から巻の受け入れ数(U2L包装機が使用した巻上品の数)を差し引いた開差がマイナスとなることがあり、これが不良巻の発生数を示すかのようである。

しかしながら、一六時四〇分の作業終了の合図と共にU2L包装機ではカク板のところに下敷きを入れて巻き上げ品の供給ホッパー(容量七〇〇〇本)から巻上品の供給を停止するため、作業終了時には右ホッパー内に巻上品が仕掛品残として残り、その上包か詰品やセロハン上包品の仕掛品残も残る(前記作業終了時の作業参照)からこれら仕掛品の存在がその開差に反映しているというべきであり、その他製品の抜取り検査のためボール箱詰されない製品もあることから右開差が不良巻の数を意味するものではなく、そのことは不良、巻入替えのため機械停止が記録されている昭和四九年一一月一五日の開差がプラスとなっていることからも明らかである。

(3) また原告は第一回休職直前の昭和五〇年八月セブンスター(チャコールフィルター使用)一九号機に配属されていたが、チャコールフィルターの不良断面検査排除装置が取りつけられたのが昭和五一年九月であって昭和五〇年八月当時はこれがなかったにもかかわらず、同月の不良巻入替による機械停止は記録されていない。

(4) さらに、昭和四九年五月から昭和五〇年八月までの(包装機運転日誌のない昭和四九年九月、五〇年四月から七月は除く)間に不良巻入替え、巻不良による五分以上の機械停止の記録は六回しかない。「巻きなし」という巻上品の供給がないための停止は一一回記録されているがその「巻きなし」の原因は不明である。

(5) したがって、不良巻が多発したとの原告の供述及び同人の作成した資料を裏付けるような証拠はなく、これに反する原告本人の供述並びに証人松本澄美子の証言は採用しない。

(二) 包か詰品、セロハン上包品の不良の多発について

(1) 包装工程で出る不良品には包か詰品不良、セロハン上包品不良、ボール箱詰不良があり、包か詰品の不良は封かん紙の位置不良等一四種類、セロハン上包品の不良はセロハンテープ位置不良等七種類、ボール箱詰品不良は三種類で各包装作業従事者が封かん紙を手作業で貼り直すなど各作業中に手直し、除去を行っていた。

(2) 不良品の発生原因として考えられる包か用紙等材料品の不良と機械の不調について包装機運転日誌によると、以下のことが認められる。

(イ) 材料品の不良が記録されているのは昭和四九年五月から昭和五〇年八月までの(包装機運転日誌のない昭和四九年九月、五〇年四月から七月は除く)間でボール箱について一日ある他は包か用紙についてだけであり、不良包か用紙の枚数は最高でも一日に六六枚、一日あたりの各月あたりの一日平均発生枚数は最高の月でも一〇枚、最低の月では一か月に一枚の不良包か用紙があったにすぎない。

(ロ) 機械不調を裏付けるような、包か詰まり等による包か用紙損傷品発生はほぼ毎日記録されているが、その数は一〇ないし一九八枚であり、一日あたりの各月の発生数の平均は四一枚ないし六〇枚である。ボール箱の損傷の発生の記録のあるのは右期間中七五回あるが、その数は一ないし五箱である。

また機械故障(イないしネという符号で原因が記載されているもの)による五分以上の運転停止が記録されているのは各月四ないし九日、停止回数は四ないし一九回で各月七三ないし二一七分の停止時間があり、一日あたりの各月の機械の一日あたり平均停止回数は〇・二ないし一・九回である。

(ハ) 一方U2L包装機の運転効率は期間中九七、九八パーセントであった。

(二) 以上より、不良品、損傷品が発生した事実は認められるが、原告の従事していた機械の運転状況は右のとおりであり、包か用紙の一日あたりの使用量が五万枚程度であることを考慮すれば右不良品、損傷品の数は少なく、また機械の一日あたりの平均停止回数によっても機械の不調による不良品等が多発するような状況であったとはいえず、この点に関する原告の供述も採用できない。

(〈証拠・人証略〉)

3 特包たばこの製造による負担について

(一) 特包たばことは記念品、宣伝用などのために特別な包か用紙を用いて製造するたばこであり、U2L包装機で包装機(ママ)するものである。

(二) その製造の際にはU2L包装機を一旦停止し、包か用紙を入替えてから特包たばこの包装を開始するものであって、組長や調整作業者が応援に入り、ベルトコンベアー上に流れる前にボール箱を取上げることになっており、特包たばこの包か用紙に切り換える作業以外は通常のU2L作業と変わりないものである。したがって、特包たばこの包装作業の際には包か状態等の監視に通常以上に緊張を強いるものであるとの証拠はなく、これに反する原告の供述は採用することができない。

(〈人証略〉)

三 作業方法の改善について

1 作業方法等の改善の内容(その影響は除く)は原告主張のとおりであると認められ、これに反する証拠はない。

2 被告はこれにより作業内容に変更はなく、職員の改善提案に従っただけであるからU2L作業従事者の負担を軽くするものではないと主張するが、そもそもそのような提案が出されるのは作業内容の改善を求めるためであるはずであり、被告主張に沿うような証人寺田道司の証言は信用することができず被告の主張は採用しない。そして、原告の第一回復職前の作業の内容については前記一のとおりであったものと認める(〈証拠・人証略〉)。

四 作業環境について

1 温度

昭和四三ないし五一年度の包装課室内別温度実測値は最低が昭和四三年の一月の一八・九度(外気温八・二度)、最高が昭和四六年八月の二七・二度(外気温二九・二度)で平均二四度であり、昭和四八ないし五〇年度の平均温度は二三・九ないし二四・六度であった。原告は昭和四九年にU2L二号機に配属された際に通路に面していたために冷気にさらされたと主張するが(証拠略)によれば確かにU2L二号機は通路に面していたとはいえるものの、当該建物は全体空調がなされており、建物の構造上この通路に冷房の風が吹き抜ける構造になっていたとは認めるに足りる証拠はなく、原告の主張は採用できない。

2 照明

包装課の室内照度はオイルショックによる省資源対策を取った昭和四八年で二二五ルクス、昭和四九年は二七〇ルクス、昭和五〇年は二七八ルクスであり、その後昭和五二年二月の設備改善の結果、昭和五五年七月三〇日の調査時には作業者の位置により三二〇ないし四〇〇ルクスとなった。照明については労働安全衛生規則に定める普通の作業の場合の基準一五〇ルクスを上回るものである。

3 騒音

昭和四九年度の調査によると、U2L包装機従事者の耳元での騒音は七七ないし八三デシベルとなっており、昭和五〇年九月に設置された高速巻上機MMC四〇〇〇の影響により、騒音は大きくなり、昭和五五年七月三〇日の調査時では八二ないし八五デシベルとなった。なお右巻上機は昭和五〇年四月ころから試運転を開始していた。これは日本産業衛生学会の騒音の許容限度内(曝露時間四八〇分の場合)である八二ないし九八デシベルに近いものであった。

4 塵埃

塵埃については問題はないとする大久保助教授の調査結果(〈証拠略〉)があるが、原告は作業中や作業終了時には機械にブロワーをかけるためたばこの刻みなどの塵埃が舞い上がり、帰る前に作業者は自分の体にブロアーをかけてほこりを払うほどであったと供述する。しかし、原告の供述どおりであったとしても、要するに作業終了時の清掃の際にほこりが出るというにすぎず、塵埃がひどかったとまで認めるに足りる証拠とはいえず、他に原告の主張を認めるに足りる証拠はない。

(〈証拠・人証略〉)

五 第一回復職時の業務内容

原告は昭和五一年六月一〇日から七月三一日までは編成残(製造作業に直接必要としない人員で清掃や組長の指示する業務に従事する者)とされ、八月一日から九月一〇日までは離席交代要員(U2L作業の直接従事者が離籍(ママ)する間には右作業に従事し、その必要がない場合は補助作業に従事する者)として配置され、九月一三日から正常勤務になった(ただし一時間ローテーション)が、編成残として配置された当初からU2L作業に従事し(以上は争いがない)、第一週は二〇ないし三〇分のローテーションであったものが第二週は二〇ないし四〇分に、第三週は三〇ないし五〇分に、七月一二日以降は四〇ないし六〇分に次第に延長されていった。なお九月一〇日までは午前午後の休憩前にそれぞれ二〇分の体操時間が認められた。

(〈証拠・人証略〉)

六 第二回復職時の業務内容

1 原告に勤務軽減措置が適用され、昭和五五年三月二一日当初半日勤務で巻上品運搬作業に、昭和五五年五月二〇日からは拘束九時間勤務で巻上品運搬作業及び材料品運搬作業に従事した。(争いがない)

2 巻上品運搬作業は、巻き上げ機の手元から実トレー運搬車を巻上品プール場へ運搬し、そこから巻上品の入った実トレー運搬車を各包装機の手元に運搬し、空になったトレー運搬車を空トレー運搬車のプール場へ運搬し、空トレー運搬車を巻上機の手元へ運搬する作業であり、トレー運搬車を動かすには実車で始動時に約二・八キログラム、空車で二キログラムの力を要する。

3 材料品運搬作業は、材料品運搬車を材料品プール場から各包装機の手元まで運ぶ作業で重さ約三二四キログラムであり、始動時には実車の場合約七・六キログラムの力を要する。

4 担当巻上機の受持ち台数は三月二一日から四月一日までが一台、同三日から一一日までが二台、同月一四日から一八日が三台、それ以降は七月一八日まで三ないし四台であり、一日あたりのべ運搬車数は実車(ただしほぼ同数の空車の運搬業務がある。)で最初の二日は五、六台、三月二五日から四月一日までが約一一台、同月三日から一七日までが二〇ないし二九台、同月一八日から五月一九日までが二五ないし四三台、五月二〇日以降で一日勤務のときは六六ないし九〇台及び材料品運搬車が一台であり、また巻上機四台担当のときの手持ち時間は四・五ないし五・六分であった。また、午前午後二回の体操等による離席が認められており、昭和五五年三月二一日から五月一六日までは四八ないし六六分、五月一九日から六月三〇日までは半日休暇日を除き七七ないし九五分(一一一分の日が一日あるのを除く)、七月一日から一八日までは八五ないし一四三分の離席時間があった。

(〈証拠・人証略〉)

七 原告の症状経過

1 第一回休職まで

原告は昭和三七年に被告入社時には健康で体に異常はなかったが、昭和四三年ころから肩凝りなどの症状が出るようになり、公社診断所等で診療を受けるようになった。

その後の昭和四六年以降の罹病歴、診断名(ただし昭和五〇年八月まで)は前記争いのない事実3に記載のとおりである。

2 その後の症状

(一) 第一回休職時の症状

頸、肩の凝り、左背のしびれ、上肢のだるさとしびれ感、腰、下肢の痛みを主訴とし、茶碗が持てない状態であり、頸肩腕障害により休業が必要と認められたが、昭和五一年五月一一日には長谷川医師により復職可能と判断されるにいたり、同月二六日には安藤医師により頭痛、めまい、頸肩凝り、左上肢痛、右上肢鈍痛、背痛等のいずれの症状も殆ど消失し、神経学的に正常で治癒したものとされた。

(二) 第一回復職時の症状

復職直後から風邪、頭痛、腕のしびれ、背肩痛、頸痛などの症状を訴えて公社診療所で診療を受け、九月三〇日から休業加療を要するとされた。

(三) 第二回休職時の症状

昭和五二年三月一日ころは療養により不眠症が消失し、頭痛は軽快したがなお頸部、背部の痛みを訴え両上肢の倦怠感があって上肢の使用により症状が増強し、しびれが右に強く、痛みは左に強く、両後頭神経、右僧帽筋、右肩甲挙筋、左肩甲間部に圧痛が認められ、両神経叢圧痛を訴えていた。なお、昭和五二年三月二二日に行われた静岡労災病院佐藤医師の鑑別診断では僧帽筋両側の筋硬結、圧痛、棘上筋、棘下筋両側圧痛、肩甲挙筋左側圧痛、菱形筋両側圧痛があり、検査の結果アドソンテスト左+、ライトテスト右九〇度及び左〇度で+、モーレーテスト左右+、腋窩神経の圧痛左右、上腕三頭筋の反射の亢進、頸椎生理的前彎減少し殆ど消失、側面前屈位像で第三ないし第七頸椎間で前方への偏位等が認められた。その後昭和五二年五月三一日には諸症状は軽快し、左肩甲間部及び左前腕に疼痛を残しているが、全面的な休業を必要とはしないと診断され、その後自発痛は軽快していき、同年八月には段階的就労が可能との診断を受け、昭和五四年二月一日には背痛、上肢のしびれ感が残る程度であった。なおこの間昭和五三年一一月二日には第二子を出産した。その後昭和五五年三月には被告の定める勤務軽減措置の適応可能と判断された。

(四) 第二回復職時の症状

昭和五五年四月にはせき、頭痛で公社診療所の診療を受けていたが、昭和五五年五月一六日には一日八時間勤務可能な状態であると認められたが、左頸部痛を訴えるようになり、六月には下腿、足背にしびれを訴えて症状が増強したと診断され、七月には手関節の圧痛、右前腕痛などにより症状の増強が認められて同月二三日休業加療を要すると診断された。

(五) 第三回休職時の症状

その後も休業加療を要すると診断されたが、昭和五八年八月二四日には就労可能だが二時間程度のリハビリ勤務が適当と診断された。

(〈証拠・人証略〉)

八 業務起因性の認定基準について

1 頸肩腕症候群(頸肩腕障害)について

頸肩腕症候群(頸肩腕障害)は多義的な概念であり、整形外科、産業医学等の立場から種々の医学的見解が発表されており、その名称自体の表現からして意見の相違が見られ、その定義についても医学の専門分野ごとに種々の差異が存することは原告、被告双方の主張どおりである。

(〈証拠・人証略〉)

その当否は医学的専門分野に属する事項であって裁判所が決定すべきものではないが、いずれの定義によってもいわゆる頸肩腕症状がある場合について整形外科的観点からは体質的素因、基礎疾患等を考慮し、産業衛生学会の定義によっても精神的因子及び環境的因子等も無視しえないとして業務以外の原因も考慮すべきものとしているのであるから、業務起因性の判断にあたっては業務以外のこれらの諸要素を総合的に評価して疾病と業務との間に相当因果関係の存否、すなわち業務が頸肩腕症状発症の種々の原因の中で相対的に有力な原因であったか否かについて判断すべきである。

2 五九号通達について

頸肩腕症候群(頸肩腕障害)(以下、まとめて「頸肩腕症」という。)については、昭和三〇年代にキーパンチャー等の上肢障害が多発したのを背景に労災補償面で対応するために「キーパンチャー等の手指を中心とした疾病の業務上外の認定基準」(一〇八五号通達)が出され、その後新たに頸肩腕症候群の認定基準を加えたものが「キーパンチャー等手指作業に基づく疾病の業務上外認定基準について」(七二三号通達)が出されたが、医学面での研究の進展や頸肩腕症候群としての労災保険の請求者の職種が多岐にわたってきたことから七二三号通達の認定基準の再検討が進められ、日本産業衛生学会の研究報告その他の文献等を広く参考にしながら現時点での医学的に解明されている範囲を集約したうえで、頸肩腕症候群の定義性格を明らかにし、対象作業態様や職種を明確化し、鑑別診断の主要な方法を掲げ、業務を主因とした頸肩腕症候群について一定の適切な療養を行えば症状が消退するといわれていることから療養についての一般的な考え方を示すなどして改正をしたのが現行の五九号通達である。(各通達の存在について争いがなく、その余は〈証拠略〉)

したがって、頸肩腕症についての医学的成果を集約した同通達は労災保険行政上の基準としてだけではなく、民事裁判上も頸肩腕症の業務上外認定基準として斟酌するに足りる合理的な基準であるというべきである。

九 業務上の負担の検討

1 第一回休職までの作業態様

(一) 五九号通達にいう上肢の動的又は静的筋労作にあたらないとの主張について

被告はU2L包装作業が五九号通達にいうカードせん孔機の操作のような手指の繰り返し作業を内容とする上肢の動的筋労作や持続的に上肢を前方側方挙上位に空間に保持したり頸部前屈など一定の頭位の保持を必要とする上肢の静的筋労作にあたらないと主張するが、五九号通達が作業態様に限定を加えたのは労災保険行政上多数の補償申請に対して全国斉一的な認定を行うという通達としての性質に由来するものと考えられるのであって、当該業務が右にいう動的筋労作や静的筋労作に当てはまるか否かを検討する必要はなく、民事裁判上では当該労働者が従事した業務が上肢に過重な負担を与えるものかどうかを個別的に判断すべきである。

(二) 各作業で身体に過重な負担がかかったとの原告の主張について

これについては原告作成の各書証及び原告本人尋問、(人証略)の証言、(証拠略)の前田勝義医師の意見書があるが、これらのうちでその最も詳細で科学的な分析は前田意見書であり、これは久留米大学医学部環境衛生学教室助教授前田勝義医師が、被告鳥栖工場の包装作業現場の観察と原告ら及びその主治医の長谷川医師との症例検討会の結果を基にU2L作業を分析し、業務上の発症要因として作業管理過程面での要因と身体機能面での要因を分析して別表「包装工程の4作業における発症要因の総合化」(〈証拠略〉)のような評価を下したもので、主観的な原告の供述は勿論のこと長谷川証言の内容も前田意見書と異なることはないから前田意見書の証拠価値について判断する。

前田意見書は、各単位作業(包装機操縦は四四種、巻き入れ作業は二五種、セロハン上包機操縦作業では一七種、ボール箱詰作業では二四種)を行う場合において、頸部、左右上肢、腰背部、下肢といった身体のどの部分に負担がかかるかの点については信用できるものの、次のような問題点がある。

(1) 前田意見書によればU2L作業の作業管理過程上の負担については包装機操縦、巻き入れ作業、セロハン上包機操縦作業、ボール箱詰作業の四種類とも規制作業的であり、繰り返し要素がかなりありながら、内容的には複雑多岐であり、このような作業管理過程上の発症要因は頸肩腕障害発症の必要条件であるが、自発休息をとる機会が充分にあれば作業による疲労は生理的限界内に止まり、頸肩腕障害の発症には至らないとしながら、原告の従事した作業は自発休息の困難性がありこの必要条件を充たすとしている。

しかし、各単位作業の内容をみれば明らかなように、単位作業というのは各作業部門において発生しうる作業をまとめたもので、その内容を見ると不良品の手直し、機械不調時の処置等の負担が相当程度の部分を占めるところ、これらは定常的な作業ではなく、これらの負担が少なければ手待ち時間が発生することは(証拠略)及び検証の結果からも明らかである。そして、前記のような不良巻、不良品の発生度数や機械故障の発生頻度が少なかったとの前記認定に照らせば相当程度の手待ち時間が発生したというべきである。したがって、このような手待ち時間の発生を考慮すれば自発休息の困難性があったとの前田意見書の前提となる事実認定には誤りがあり、むしろ前田見解によっても原告の従事していた作業は頸肩腕障害発生の必要条件を充たさないというべきである。

(2) 身体機能面での要因の分析については以下のような問題がある。頸部前屈保持要素のある包装機操縦作業者の作業としては包か用紙の解包、製品検査、調整、監視の各業務であり、作業台の高さが八〇・五センチメートルである(原告の作業時の身長は前記のとおり一五二センチメートル)ことが根拠となっているようである。しかし、包か用紙のさばきは作業台上で解包後これを持ち上げてさばくものであって、一回あたり三〇秒を要するものであることは前記のとおりであるが、この際首を前に傾けることはあってもこのような短い時間の作業でなぜ頸部前屈を「保持する」要素が頸肩腕障害発症の要因としてあることになるのか不明であるし、必ずしも頸部を前屈させる必要がない監視気配りの作業にしても各製品の流れや全体の操作状況に気を配ることがなぜ頸部前屈保持の要素があるのか理解しがたい。また、セロハン上包機操縦作業では作業台の高さが八〇センチメートル、ボール箱詰作業では約七七センチメートルの作業台上で行うことが根拠となっているが、これらは椅子に座って行う作業であり、椅子は高さが調整できるものであることを考慮すると、作業中頸部前屈要素があることは肯定できるとしてもその首を曲げる角度や各単位作業の作業時間を考慮しないまま強い、大変強いといった評価を下しているものであって、評価に客観性がないというべきである。腰背部のひねり屈曲要素の評価にしても、たとえば巻き入れ作業ではトレーを中腰でハンガーにかけたり底板を引き抜く点にひねり屈曲の要素があるとしているが、原告本人の供述によれば原告は腰をかがめるのをすべて中腰と表現しているのであって、その腰を曲げる角度やそのひねりの程度は明らかでないまま巻き入れ作業を腰背部のひねり屈曲の強い作業であるとしている。

また、右肩右上肢負担要素、左肩左上肢負担要素については、たとえば包装機操縦作業についてみると包か用紙、封かん紙の解束供給が上肢に負担となる要素を含むことは当然であるがこれに加えて頻度の少ないアルミ箔交換や機械の運転操作、不良品、機械不調時の調整等を入れたうえで負担が強いと評価している点で手待ち時間についての考慮がないことが窺われ、セロハン上包機操縦、ボール箱詰供給作業についても同様に手待ち時間について考慮のないまま負担が大変強いとしている点で評価の前提となった作業内容について誤りがあるか考慮すべき点を考慮にいれずに評価したものというべきである。

(3) また神経感覚器への負担については機械が正常に作動している場合には第三者による作業の観察からはその負担を容易に知ることはできないとしながら、その負担は決して小さいものではないとしている。

(4) このように前田意見書は各単位作業がどの部位に負担をかけるかの点についての分析としては意味があるも、その作業負担の評価については客観性、合理性がない。

(5) したがって、前田意見書と同様の評価を基礎にした(人証略)もその余の原告作成書証、原告本人の供述を加えても業務の内容自体が過重な負担となりうるとの証拠とはなりえないものである。

(三) その他の証拠

その他原告の従事した業務が過重であったとの証拠はなく、かえって(証拠略)によれば、被告浜松工場の昭和五三年二月一三日の作業状況調査に基づいてU2L作業を分析した日本能率協会の調査結果では当該作業はローテーションあたりの動作回数、動作ごとの荷重量、ローテーション時間、休日休暇日数、作業中の離席、使用身体部位別負荷状況を総合すれば他社類似作業と比較しても過重とはいえないし、また(証拠略)によれば、昭和五三年当時の被告浜松工場のU2L作業を分析した日本大学生産工学部管理工学科の大久保助教授のエネルギー代謝率を基礎とした調査によっても頸肩腕障害に結びつく要因を指摘することは困難であるとされている。これらは原告が発症まで従事していた作業そのものの分析とはいえないが、前記のような作業台の高さ、踏み台の設置等の改善点を考慮してもU2L作業の基本的な動作、単位作業自体に大きな変更はない以上は、原告の業務内容が過重とはいえないことについての証拠となりうるものというべきである。

2 第一回休職までの業務量について

(一) 作業密度について

前記のようにU2L作業は機械の回転数は毎分一一〇回転に固定されており、その運転効率は昭和四九年九月から昭和五〇年八月までの間九七ないし九八パーセントであり、またU2L作業従事者一人あたり月別製造数量は昭和四九年が最高二二万六八〇〇本、最低が二二万四三〇〇本、昭和五〇年度は最高二二万六九〇〇本、最低が二二万四三〇〇本であり、最高月と最低月で一人一日あたり二五〇〇ないし二六〇〇本の差があるが、U2L包装機が毎分一一〇回転×二〇本=二二〇〇本の製造数量を持つ機械であることを考慮すれば、製造数量に大差はなく、ほぼ一定の作業密度であったといえる。

(〈証拠略〉)

(二) 作業日数、時間について

また、昭和四九年四月から昭和五〇年八月までの間での原告の増製超勤時間は昭和四九年一二月に一六時間、昭和五〇年一月に二四時間、三月に三二時間、四月に一六時間があるだけである。

(〈証拠略〉)

したがって、作業密度、作業時間が過重であったとはいえない。

3 結論

以上の次第で、作業内容、密度、時間を検討しても原告の第一回休職までの業務によって原告に過重な負担が生じたとはいえない。また、作業環境についても前記のとおりであり、昭和五〇年四月以降騒音が日本産業衛生学会の許容限度に迫るものであった他は特に原告の発症の要因となるものは見当たらない。

4 第一回復職時の業務について

(一) 作業内容は前記のとおりであり、その間の作業日数は六月が一一日、七月が一七日、八月が一五日、九月が一四日、合計五七日である。

(〈証拠略〉)

(二) したがって、作業内容や体操時間が与えられていたこと、作業日数を総合すると、過重な負担を与えるものとはいえず、他に第一回復職時の業務の負担が重なったことを認めるに足りる証拠はない。

5 第二回復職時の業務について

(一) 作業内容は前記のとおりであり、出勤日数は三月が六日、四月が一九日(ただしいずれも半日勤務)、五月が一六日(うち八日は半日勤務)、六月が一五日(うち二日は半日勤務)、七月が一二日(うち三日は半日勤務)であった。

(〈証拠略〉)

(二) したがって、作業内容や作業中離席時間が認められていたこと及び手待ち時間の存在、出勤実日数に照らせば業務の負担が過重であったとはいえない。

一〇 医学的所見

1 長谷川医師の診断

長谷川医師は昭和五〇年八月二九日原告を川崎大師病院で初診したときに、原告が頸、肩の凝り、左背のしびれ、腰、左下肢の痛みを訴えたこと、頸肩背中の強い筋硬化、筋硬結、圧痛、頸椎レントゲン撮影による第三、第四頸椎間の前方偏位の増強、知覚、腱反射異常等の神経学的所見がなかったという検査所見を総合し、問診により既往症と業務内容を原告から聞き取ったうえ、これらを総合して業務に起因する頸肩腕障害と診断し、さらに原告を含め、これと同時期に被告浜松工場の包装課でU2L作業に従事していた者で川崎大師病院に通院していた九例の患者の症例を分析すると、U2L作業では右側の負担は四工程でほぼ同程度であるが、四工程中セロハン上包機作業及びボール箱詰作業では左側の負担が大きいため、二時間のローテーションを組んでいたころの患者は身体の左側に頸肩腕症状を訴えるのに対し、一時間ローテーションに変わったことにより左側に負担のかかる工程は小刻みに打ち切られることになり、左側の症状が消滅すること、また、原告が巻上品運搬車等の運搬に従事していた第二回復職時には下肢及び右側に症状が出ることからも原告の症状の業務起因性は明らかであると証言する。

しかし、長谷川医師は原告の業務内容について原告の説明を受けただけであり、その作業内容や作業負担について正確な評価をしていないことは前記のとおりである。また、長谷川医師は法廷での証言の際にカルテの記載に基づいての証言であるとするが、記録によると川崎大師病院は被告が昭和五九年八月六日付で申し立てた診療録の送付嘱託に応じていないため本件訴訟では同病院における原告の診療録が証拠として提出されていないが、これは他の医療機関に対する送付嘱託の場合と同様に原告が診療録の提出に同意しなかったためと考えられるところ、このような原告及び川崎大師病院による証明妨害の態度は不可解であり、長谷川医師の証言の前提となっている原告の症状についてこれをそのまま信用することはできない。よって、右長谷川証言は証拠として採用することはできないし、また同医師の作成した書証(診断書を除く)である(証拠略)はこれを裏付けるに足る証拠がないのでいずれも信用しがたいというべきである。

2 前田意見書(〈証拠略〉)について

前田医師は、前記意見書(〈証拠略〉)の中で原告ら及び長谷川医師と共にした業務内容の分析評価と原告の症状について検討した結果、原告の疾病は業務に起因する頸肩腕障害であるとしているが、同意見書はその前提となる業務内容の理解に誤りがあることは前記のとおりであるから、業務起因性を肯定した同意見書は信用性に乏しいというべきである。

3 静岡労災病院安藤医師

安藤医師作成の診断書によれば、同医師は原告の疾病を頸肩腕障害と診断し、階段的就労を指示したものであるが、診断書だけでは同医師が業務に起因する頸肩腕障害と判断していたのかどうか不明であるうえ、その診断の根拠も不明であるから、安藤医師の診断書だけでは業務起因性を医学的に認める証拠とはいえない。

(〈証拠略〉)

4 静岡労災病院佐藤医師

同医師は昭和五二年三月二二日静岡労災病院で原告の鑑別診断を行った(争いがない)者であるが、原告について「所謂頸肩腕障害と判断される。右上肢の交感神経機能障害があると考えられるが、B1型で回復率は良好な型である。なお腰椎にはレ線像に異常所見(椎間板症)が認められた。」と診断したが、同時に「頸椎の退行性変化を有する者は頸肩腕障害でないとするのも、頸椎の経年変化から起こってくる頸肩腕症候群として認められる症状を直ちに作業に起因する障害と主張することも誤りである。したがって、作業因性の決定にあたっては、身体的因子の他に労働環境、労働条件などの労働的因子、さらに精神的心理的因子をもよく考慮して判断すべきである。」としている。したがって、同医師は原告の症状を業務に起因することを肯定も否定もしておらず、これだけでは業務起因性を肯定するに足りる証拠とはいえない。

(〈証拠略〉)

5 公社診療所鈴木卓医師

同医師は原告の疾病を「頸肩腕症候群」と診断しているが、業務起因性について述べたものはなく、同医師の診断書は原告の疾病について業務起因性を医学的に肯定する証拠とはいえないというべきである。

(〈証拠略〉)

6 被告が鑑別診断を依頼した医師の所見(〈証拠略〉)

(一) 大阪医科大学付属病院富永医師

被告提出資料による業務内容の概要と原告の既往症から判断して原告の疾病は全体として婦人科的障害が基礎にあり、U2L作業と密接な因果関係にあるとは認められないとしている。

(二) 大阪労災病院川田医師

佐藤医師の鑑別診断の結果を基に原告の業務内容からは業務起因性を認定することは困難であるとしている。

(三) 名古屋保険衛生大学吉沢医師

既往症、特に四度にわたる切迫流産が頸肩腕症候群という心因性因子の強い病態に何らかの影響を及ぼしているものと考えられ、職場環境に問題はなく、長期間の通院加療、休養にもかかわらず愁訴の消失をみない点を考え合わせれば業務に起因するとは考えられないとする。

(四) 東京労災病院松元医師

佐藤医師の鑑別診断の結果によって業務上の疾病と確定しうる所見は認められず、二年から三年以上にわたる長期間業務から離れて治療に専念しても治癒していないこと、過去に種々の病歴を有していることからすれば、体質的に弱いことが推定され、業務上疾病とすることは誤りであるとしている。

(五) 慶応大学病院小林医師

職業性の頸肩腕症候群は筋労作性の加重によって発症するものであるから、それらが取り除かれれば愁訴は軽快するのが当然であり、それにもかかわらず軽快しないで三か月以上にわたるのは筋労作性の疾患とはいえないところ、原告は一年有余にわたって休職しているにもかかかわらず、愁訴の改善をみていないから、筋労作以外の他の素因性疾患と判断するのが妥当であるとしている。

(六) 公務員共済稲他(ママ)登戸病院鈴木信正研究員

既往症として頑固な婦人科疾患があり、低血圧症、自律神経失調もあり、頸椎の前弯がほぼ消失し、腰椎には先天的奇形を認め、姿勢が悪く、脊柱の構築上の弱点に年令による退行性変化が加わったものであり、業務起因性はないと判断している。

(七) 日本医科大学石田肇医師

X線上頸椎の生理的前弯消失、第五、第六頸椎の不安定性、ルシュカ突起の先鋭化、腰仙角の減少、腸腰靱帯の腸骨付着部の骨化等の所見から変形性頸椎症であり、加令による退行性変化による肩凝り、頭痛、腰背部の症状の原因になる素因を有していると診断する。

(八) 原告の療養期間からの検討

前記のとおり、原告は第一回休職(九か月)、第二回休職(三年五か月)、第三回休職(昭和五九年一月一九日まで三年五か月)といった長期にわたって業務を離れながら(争いがない)、平成元年一一月二七日に行われた第二回原告本人尋問の際にも症状が続いていると供述している。

(九) 結論

以上を総合すれば、原告には婦人科疾患や変形性頸椎症といった体質的素因があることが認められる。

これに対して昭和六二年五月一五日に名古屋大学付属病院で施行された原告の筋電図検査の結果及びそれを分析した宮尾克医師の「原告の筋電図所見について」(〈証拠略〉)及び佐藤医師の鑑別診断結果ではスパーリングテストが陰性であるとされていること(〈証拠略〉)によれば、変形性頸椎症による疑いは否定されるかのようであり、また、原告が昭和四九年と昭和五三年に出産している(争いがない)ことからすれば婦人科疾患の素因も存在しないかのようである。しかし、五九号通達によれば業務起因性の頸肩腕症であれば業務を離れて適切な治療を行えば症状は三か月ないしはこれを基準とする短い期間程度で消退するとされているのであるから、前記のような体質的素因がない限り原告の長期にわたる療養期間を経てもなおその症状が残ることを説明できないというべきであるから、これらの事実及び証拠によっても前記体質的素因の存在を否定することはできない。

一一 疫学的因果関係について

被告浜松工場で行った各種調査によれば頸肩腕症に関する調査で、浜松工場内では頸肩腕症状を訴える者が多いことは原告主張どおりであると認められるが、その症状の具体的内容は不明であるうえ、(証拠略)によると、原告と共に業務上災害による労災補償申請をしたのに石川笑子、瀬崎はつ、高柳令子、山崎和子らは、佐藤医師の鑑別診断によっても頸椎起因性の疾患を疑うべきものとされているなど、頸肩腕症状を訴える者が多数いても必ずしもそれが業務起因性を基礎付けるものとはいいがたく、これら調査結果などから業務と疾病との間に疫学的な因果関係を認めることはできないというべきである。

一二 証明責任について

原告は、原告の疾病と原告の従事した業務との間の相当因果関係すなわち、原告の疾病について業務が相対的に有力な原因であったことについて立証責任を負い、具体的には原告の従事した業務の過重性と原告の疾病及び業務従事期間や業務内容、症状経過と業務の関係といった原告の疾病が業務によって発生したということが医学的にみて相当であることを基礎づける事実について立証し、かつ、被告が原告の疾病の原因として体質的素因等業務以外の原因を立証(間接反証)した場合には、その業務以外の原因を含めてもなお業務こそが原告の疾病の相対的有力原因であることを立証すべき責任を負うというべきところ、本件では、原告の業務は頸肩腕症の発症をもたらすような過重性について証明がなく、また原告の疾病を業務に起因するとの医学的見解も信用性に乏しく、他方、原告には変形性頸椎症や婦人科疾患の素因があると認められるので、結局原告の頸肩腕症の発症及び再発、再再発について業務が相対的に有力な原因であり、両者の間に相当因果関係があると認めることができない。

一三 結論

よって、原告の頸肩腕症が業務に起因することを前提とする失職処分無効、安全配慮義務違反、損害賠償の主張はいずれも失当であるから、原告の請求はいずれも棄却すべきである。

(裁判長裁判官 三宅純一 裁判官 井上豊 裁判官野崎薫子は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 三宅純一)

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